ペン先が人工鉱石の万年筆「KEMMA」生みの親のお話

唯一無二。ペン先が人工ルビー・サファイアガラスの万年筆を開発。

その生みの親は「発想の玉手箱」のような人であった。

世界トップの研磨技術を活用



 人工ルビー、サファイアガラスをペン先とした「KEMMA」の万年筆。製造元は「株式会社秋田研磨工業」。高級腕時計のカバーガラスなどの研磨技術は世界トップレベル。技術大国・日本を象徴するかのような企業だ。
 「KEMMA」のデビューは平成29年。その豪華な仕様や技術力で注目を集めたが、万年筆を選択し「ニブ(ペン先)=金属」という常識を打ち破った阿部さんの発想力、完成度を高めた企画力にこそ本当の価値がある。

 鉱石系ガラスとの出会いは19歳の時。地元誘致企業だった。34歳で同社を創業。以降、時計、光学系企業との取引が深まり、阿部さんの存在なくして商品化できなかった事例も多い。しかし、特許はメーカーのものに。ならば「自ら特許を取ろう」と注目したのが万年筆。構造的に完成されたものではあったが、約200年ぶりに日本、アメリカ、イギリス、フランス、スイス、ドイツで特許を取得する。

作業風景
作業風景

その原点は両親の姿にある

 実は阿部さんはアナログ人間。こんな逸話がある。研磨剤を探していた阿部さん。着目したのが、地元・湯沢の「泥湯温泉」の湯。後に研磨剤としての有効性が実証されるのだが、「アナログ的原理を知らずして革新はならず。理屈は後からついてくる」。まさに阿部さんならでは。

 この能力、幼少期に原点がある。生家は、町の中心部から険しい峠道を隔てた集落。出稼ぎで生計を立てる世帯が多い中、両親は製炭業(黒炭)で家族8人の暮らしを支えていた。その源となったのが父親の「山見る力」。材料となる樹木の目利きに始まり、釜を作るための土、地形、製炭に欠かせない水など「俯瞰で見る目」が幼い頃から養われていた。

作業風景
作業風景

一瞬にしてストーリーを完結するプロデュース力





 取引先は人材豊富。研究環境も最先端を行く。しかし、ここに盲点がある。「専門化、高度化が進む一方で、視野が狭くなり現場ニーズと解離する傾向がある」。しかも同じ企業の中ですら横のつながりが希薄になりがち。そこで活かされる阿部さんのプロデュース力。第三者には荒唐無稽に思われる発想も、阿部さんにすれば、その過程が瞬時に構築されての結果。まさに「生きる発想の玉手箱」なのである。





阿部 忠雄さん



株式会社秋田研磨工業 代表取締役 昭和26年7月27日秋田県羽後町生まれ。羽後高校(普通科)を卒業後、秋田県の臨時職員を経て、「並木精密宝石」に入社。独学で人工サファイアの開発を手掛け「(株)秋田研磨工業」設立。生産歩留り99.9%以上という高品質を誇る。



【小玉醸造(株)”藏”夏号にて掲載されました】


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