高校生S君へ

------日本国憲法改定に関する私の考え

             平成28年2月

1. はじめに

今、安倍政権は戦後70年近く続いてきた現在の日本国憲法を変えようとしているね。彼らは特に、戦争放棄の第9条を変えたいとしていることは、きみも知っているよね。まあ他にもいろいろと変えたいことがあるらしいことは、自民党が野党時代に作った「自民党新憲法法案」を読めばわかるが、それについては、多くの識者から、違和感が表され、むしろ昔の、大日本帝国憲法に逆戻りする内容でないのかと、懸念されている。

しかし、安倍首相たちは、なにはともあれ、現在の第九条を変えて、「軍隊」をもつことを明言し、必要があれば戦争を遂行することができるようにしたい、ということだ。

この問題については、日本の中でも賛否いろんな意見があるが、私は(たぶん、かなり多くの日本人も)、安倍首相らの考えには反対だ。それを今から書いておきたい。

 なお、憲法を変える場合、「憲法改正」という言葉が使われるが、私は「改正」という言葉には価値判断が含まれていて(つまり、正しい方向に修正する、という意味にとれるので)、私のように、改悪であるとみなしている人間からすれば、この言葉は正確でない。よって、以下の文章では、一般に「憲法改正」といっていることを、「憲法改定」あるいは改憲ということにする。(「改正」と翻訳したのは、明治時代の憲法学者だろうが、「改定」にするべきだった。)

今年から、国政選挙では選挙権が18歳以上からということになり、きみたちもまもなく、選挙で投票することになる。あるいは、憲法改定の国民投票になっても、きみたちは、賛否の一票を投ずることになる。学校ではこのような政治的テーマを詳しく教えることができないようだから(安倍首相たちは、自分たちの考えと違う人たちの考えを「偏向」と呼ぶ。だからNHKはじめ今の日本の新聞やテレビは、健全な社会には必要不可欠なはずの、政権批判をほとんどやらなくなってしまった。はっきり政権批判をする識者は、テレビには呼ばれなくなったし、キャスター・コメンテーターも、実につまらない人間たちばかりになり果てた。このような社会の中で、学校の先生たちも、自由な意見を表現することがとても困難になってきているんだ)、政治についてはきみたち一人一人が、できるだけ自分で勉強して、明るい未来を作る礎になってもらいたい。また、学校では、この80年間の歴史を授業できちんと教えていないはずだから、これについても、自分でよく勉強しておくことを切に勧める。

何割かの人々は、「おれは政治になんか興味がない」と,
いつの時代もいうわけだが、興味がなくても政治には関心をもち、自分なりの正しいと思う意見をもつようにするべきだ。政治は、きみの人生を豊かにするかもしれないし、不幸にもするかもしれない。命や健康を左右することだっておおいにありうる。このことは、たとえば日本のこの百年間の歴史をかえりみれば、簡単にわかることだ。


以下にはここで私が考えていきたいことを、まずは箇条書きにしておく。私見は別項で述べるが、きみも自分の頭で、自分なりに考えてみてほしい。


1. 憲法第九条は正義か、それとも欺瞞か。
欺瞞だとすれば、なぜこの70年間存続しえたのか。
正義とすれば、どのように、役割を果たしてきたのか.。


2. 国際情勢は確かに大きく変化している。
  その変化に対応するためには、本当に第九条を変える必要があるのか。



3.戦争放棄は、机上の空論で平和ボケなのか。
19世紀までの戦争と、20世紀以降の戦争は意味が大きく異なる。それはどういうことか。


4.戦争は人間の悪の中で、代表的なものである(人を殺すのだからそうだよね)しかし、戦争をしがちな人間たちというものが、この世には、いそうである。それはどういう人間たちか。彼らの価値観とはどういうものなのか。



 5.識者にもいろんな意見がある。人間はいろんな異なる状況で生きているし、千差万別の家庭、社会の中で育つのだから、各人がいろんな考えをもつのは当然である。ところで、そのこととは別に、識者、あるいは政治家でもいい、社会に大きな責任をもっている人間でもいい、そういう人が意見を言っている場合、彼・彼女は、未来のどの時点を想定して意見を述べているのか、推定しておくのは、たぶん有意義である。未来10年の範囲で言っているのか、未来450年(自分の人生の長さ)で言ってるのか、未来150年(孫・子の人生まで含む)の範囲で言ってるのか、人によっていろいろである。たとえば原発の是非の問題では、10年のことを言う人間と、百年、2百年のことで言ってる人間とでは、意見がかみ合うわけがない。私たちはその辺のことをよく見ておかなくてはならない。


私の意見