憲法:私の意見

後半は日本政治外交史・三谷太一郎氏の記事を転載(私はその方面の専門家ではないが、氏の考えに全面的に賛同する)


1. 第九条は正義か欺瞞か

 安倍首相たちは現憲法が、アメリカ占領軍のもと、GHQの原案を基にして作られたものだから、日本人にとっては屈辱的なものであり、早く自前のものにしないといけない、と言っている。
 しかしそうであっても、日本人の大多数はこの69年間、好感をもって現憲法を受け止めてきたのである。成立した1946年においてもそうだったし、今もそうだ。安倍首相や櫻井よし子など現憲法を屈辱とみなすのは、国民の少数派である。現憲法の平和主義、基本的人権の保障、国民主権について、過半数が支持しているはずだ。この憲法のもとで日本は世界に胸を張って、経済復興をなしとげ、数々の苦難を乗り越えてきたのだ。ちなみに、第一条で「象徴」とされている現在の天皇自身も、現憲法を強く支持していることは、彼のいろんな場面でのスピーチにおいて、明らかである。

憲法改定の第2の理由は、軍事大国アメリカが、その一部を日本が補うことにより、自国の経済的・人的負担を軽くせんがために、陰に陽に日本の政治家・外務省に圧力をかけている、ということもあるに違いない。
しかし、この数十年のアメリカの軍事行動に、きみは好感をもてるだろうか。ベトナム戦争(1964〜1973)は、共産主義のドミノ現象から東南アジアを守るという大義名分があったかもしれないが、基本的にはベトナム人民の独立戦争であった。そういう性格の戦争だったからこそ、ベトナム人は、軍民合わせて200万人以上の死者と、それ以上の負傷者を出しながらも、最終的には、アメリカに勝ったんだ。(この戦争のアメリカ軍の死者は約6万人)。
 イラク戦争(2003)はどうだったろうか。ここでもアメリカは、大義のない戦争を起こし、イラクの人々や国土をずたずたにした。戦争の理由は、イラクが「大量破壊兵器」を保持しているということだったが、そんなものは結局どこにもなかった。その後今も続く、イスラム人による数えきれないテロ・非道は、イラク戦争に主な源流をもつ。米英の一部の政治家(パウエル元国務長官など)は、この大義なき戦争を引き起こしたことに、謝罪、もしくは遺憾の意を言明したが、多少ながらも参戦した国日本、そこの政治家でそうした反省、後悔の念を示した人間は誰もいなかった。いないどころか、その戦争を支持した評論家、学者もその後も、何事もなかったように、のうのうと生き、あるいは日本政府の中枢を担ったりしてきた。(たとえば、政府の各種審議会の重要メンバーだった、北岡某など)。
大義なき戦争は、人間の最大の罪悪であろう。正義の顔をしたアメリカが、一皮むけば、自国の経済の多くを軍事産業に頼っているわけだ。そういう国に、自国の意見をほとんど言わず、愚かな犬のようにただ従っているのがこの日本の政権党である。大国とケンカする必要はない(それをやったのが日本のあの戦争だ)。しかし、正しい意見は言うべきだ。外務省その他がそれをやらないからこそ、いつまでもアメリカやその他の国々から馬鹿にされる。
 そんなだらしのない国の首相が、無理やり法律の解釈を変え、憲法学者の圧倒的多数が「憲法違反」とみなした、去年の安保法制改定を強引かつ傲慢の国会を通したのだ。
私は、憲法を変えることに全く反対なわけではない。しかし、間違った国家観、国民観をもつ安部晋三たちが、現憲法を変えることには、徹底的に反対しなければいけない、と考える。----安倍は、彼が敬愛する祖父岸信介の、「国民より国家が大切」、という考えに同じとのことである。彼の今までの言説をみれば、きっとそのとおりである。
しかし、我々普通の人間にとっては、それこそが危険な思想である。

さて、軍隊をもたないと憲法にうたっているのに、自衛隊をもつのは、欺瞞だろうか。私も高校生から35歳頃までは、小学一年生でもわかる嘘、大いなる欺瞞と考えていた。しかし、中年以降は、欺瞞ぽいが日本の歴史的条件、地理的条件、現在の国際関係から考え、やむおえないもの、これでいいもの、と考えている。
この憲法のおかげで、日本はベトナム戦争にも参戦しなかった(韓国などいくつかのアジアの国々は参戦した。なお、沖縄はまだ日本に返還されずにいて、そこはベトナム戦争においても、重要な出撃基地だった。日本は参戦はしなかったが、横須賀の病院など、後方支援としては、かなり関与していたが---).
イラク戦争はどうだったか。サマワに駐屯はしたが、自らの血は流さなかったし、イラク人への銃撃もなかった。
自分の国を正義の名において血を流しながらも守らなければいけない状況というのは、古今東西の歴史であったであろう。しかし、上に書いたとおり、ベトナム戦争も、イラク戦争も、日本がついたアメリカ側にこそ不正義があった。日本人が血を流さなかったのは、よかったことだ。
九条がなければ、日本人のおびただしい血が流れ、命が失われたことだろう。

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2. 以下には、今年(2016)5月4日の秋田県地方紙・さきがけ新聞に載った東大名誉教授の三谷太一郎氏の意見を転載したい(共同通信の記事だから、全国の地方紙に載ったはず)。
 氏は日本外交史が専門で2011年に文化勲章を受章している、その方面の大家である。高校生S君よ、もし機会があったら三谷氏の意見と、昨今巷の本屋に平積みされている雑誌や本の、浅はかな歴史修正主義者たちや、反知性主義者たちの言とを比べてみてくれ。人間によって品格や本当らしさがまるで違うように、人の考えにも品格や真実性に大きな違いがあることがわかるはずだよ。思想の品格の基礎になるのは、幅広くて深い知性とともに、人間や社会とその過去・現在・未来ををみる眼の真摯な姿勢だと、僕は思う。若い君たちは、粘り強く一生自分なりにいろんなことを勉強して、自分なりの思想を形作ってもらいたい。
(下線は山本がひいた)

聞き手:安全保障関連法をどう評価しますか。
三谷氏:「集団的自衛権を行使すれば戦争の危機は迫る。戦争によって安全を守るのは不可能だ

聞き手:政府は日米同盟の強化によって抑止力が増すとの立場です。
三谷氏:「戦前の日英同盟と日独伊三国同盟はいずれも戦争の導火線になった。特に日英同盟の参戦義務により、日本は第一次世界大戦の際に中国大陸でドイツと戦った。対華二十一カ条要求をはじめ、この参戦が日中関係の禍根となったことはもっと顧みられるべきだ」

聞き手:戦後の日米同盟とは状況が違うのでは。
三谷氏:「戦前の同盟も戦争を起こさないための抑止力だという同じ理屈だった。日英同盟はロシアへの、三国同盟は米国への抑止力とされ結果的にその国と開戦した。集団的自衛権を行使する日米同盟はこれらの同盟とどう違うのか、政府はきちんと説明すべきだし、国民も説明を求めるべきだ」

聞き手:安倍晋三政権の政治姿勢をどうみますか。
三谷氏:「敵と味方を峻別する傾向に危惧を覚える。安保法制を巡る議論でも、自由や人権といった価値観を掲げて国際的に敵と味方を峻別しようとしているようにみえる」
「三国同盟も当時強調されたのは、新しい国際秩序をつくるという価値観の共有だった。それがやがて『全体主義の枢軸国』対「民主主義の連合国』という図式で戦争につながっていった」

聞き手:平和主義を掲げた戦後日本の歩みの評価は。
三谷氏:「海外に軍隊を派遣したり武力衝突を起こしたりすることなく、70年ともかく平和を蓄積してきたことは誇れると思う」

聞き手:憲法9条2項の戦力不保持は実態から懸け離れているとしてリベラルに一部からも削除論が唱えられています。
三谷氏:「現実を理念に近づける努力がわれわれ国民に課されていると解すべきだ。理念を消すことで平和への努力が失われることを恐れる

聞き手:自国本位の一国平和主義という批判もある。
三谷氏:「一国のできる最大の貢献は非戦・不戦だ。そうした現実を積み重ねてきたことが人類への大きな貢献ではないか

聞き手:理想論では?
三谷氏:「そもそも平和は理想だ。理念があるから平和辛うじて保たれるのであって、放っておけば人間は戦争に傾いていく。リアリズムというのは理想と現実との緊張関係の中で生まれるものだ」

聞き手:具体的には?
三谷氏:「第一次大戦後主流になりつつあった実証的なアプローチではなく、理想主義的なカントの「永遠平和のために」などに基づいて国際政治を論じた政治学者の南原繁は、東大法学部長の職にあった太平洋戦争末期、同僚の教授と終戦工作に身を投じた。その動きは昭和天皇にも伝わり、終戦の決断に何らかの影響を与えたと僕は考えている」
「本当のリアリズムというのはそういうもので一億玉砕に向かう圧倒的現実に抗する力を持ち得るのは理念しかない」

聞き手:安全保障環境の変化に対応する必要があると政府は主張しています。
三谷氏:「冷戦後の国際秩序はアナーキー(無秩序)だ。集団的自衛権に踏み切るというのは、無秩序を選択することになるのではないか」
非常に難しい課題だが、多極化した国際社会の現実に合わせ、中国からも是認されるような新しい国際秩序をめざす必要がある。冷戦期からの日米安保条約の延長である日米同盟の形で凍結することは、日本の果たすべき役割を見失うことになると思う

聞き手:近代日本の戦争と平和とは。
三谷氏:「第一次大戦後は戦争否定論が多かったが、1931年の満州事変を機に『戦後』が終わり、新しい『戦前』が始まった。幣原(喜重郎)外交や不戦条約(28年)といった『戦後』の理念も急速に時代遅れだと言われるようになっていく。同様の傾向が今の日本にもみられるのではないか」
「日露戦争や第一次大戦後の大正デモクラシーも含め、日本の民主主義は『戦後』民主主義であり、戦争が平和のあり方を規定してきた。『戦後』の付かない平和の下での民主主義をどのようにつくり出すか。平和論の課題であり、民主主義の課題だ