吉川幸次郎の3,4冊
★★★★★ 「中国詩史」 2023年 ちくま学芸文庫
(底本は1967年)
★★★★☆ 「宋詩概説」 2006年 岩波文庫
(底本は1962年)
宋詩がどのように唐詩と異なるのかよくわかる。
蘇軾について詳しい。
★★★★☆ 「新唐詩選」 年 岩波新書
杜甫15首、李白29首、王維12首、他
★★★★☆ 「新唐詩選続編」 1954年 岩波新書
白居易について(128頁の内容)、他
年末に久しぶりに本屋に行ったら、吉川幸次郎の「中国詩史」という文庫本が目に入り、すぐ買ってきました。氏のいくつかの著作を年代順に、高橋和巳が編集して並べたものでした。
(ご存知でしょうが、高橋和巳は吉川教授の弟子である一方、1970年前後に大人気を得た小説家でもありました。「悲の器」、「邪宗門」、「捨子物語」、「わが心は石にあらず」-----。20代前半には飯も忘れて読んだものです。)
漢詩は中学と高校のときに少し習いましたが、その詩情には感ずるところがありました。杜牧の「江南春絶句」、----千里鶯鳴いて 緑紅に映ず、水村山郭酒旗の風
-----や、王維の「送元二使安西」 ----い城の朝雨は軽塵をうるおし、客舎青青柳色新たなり---- などです。 自分の仕事をもってからも、気が沈んだときなどに、折をみて読んできました。といっても、ほんの少しです。漢詩は古来中国のエリートたち(官僚・元官僚)によって作られてきましたが、自分が感動するのは一般に、左遷されたり追放された人間が感情をうたう歌、あるいは混乱した社会への憤りを詩に託したものなどでした。白居易の「新豊のうでを折りし翁」や杜甫の「登高」、陶淵明の「田園の居に帰る」などです。あるいは李白の「月下独酌」、-----
ところで詩についてはその原語の音やリズムを体で感じないのであれば、とうてい理解したとはいえない。詩は本来、言葉の内容もさることながら、歌ったりあるいは大きい声で朗誦するものだからです。韻もふむでしょう。たしかにそのとおり。ずっと前、私が「漢詩はいいなあ」、と友人のH君に言ったら、中国語がわからなければそうはいえないのではないか、みたいに反論されました。日本の学者で、「漢詩は中国語で読まなければだめだ」、と江戸時代に言った人もいたし(荻生徂徠)、現代でも同じ意見の教授がいるらしい。
(なお、中国の歴史文化に詳しい秋田市のH君は蘭州に友人の医師がいて何度か行き、そこで心臓の手術も執刀しました。さらに驚いたことには、蘭州市を離れるとき、かれは王維の「送元二使安西」(上記)を中国人の前で原語で朗誦して帰って来たという。)
閑話休題。いろいろありますが、日本人には千数百年の間、漢詩は感動を与えてきました。そして文学の基礎を提供してきました。平安時代頃はきっと日本でも中国語のまま読んだ人も多かったのでしょうが、幸か不幸か読み下し文が普及し、一般的にはその言葉で鑑賞するようになったわけです。吉川教授は若い時から中国語がペラペラだったようですが、私のような日本人は読み下し文で理解するしかありません。外国語の詩、その音楽性を感じえぬとしても、読み下し文もしくは翻訳によって、その価値の7,8割は理解できるのではないかと思っています。でなければ、たとえば小林秀雄訳の「地獄の季節」(A.ランボー)になぜ感動できるのか、ボードレールの
「Albatross](あほうどり)がなぜあんなに好きなのか。その内容、思想、感情をかなり理解できるからだと思います。
「中国詩史」は素晴らしい内容です。それだけ吉川教授の学識と文学的能力がずば抜けていて、しかもこの本にある文章は、私のような半可通にもよくわかるレベルで書かれているからと思います。
「序 一つの中国文学史」も読んで楽しい。そこでは。中国文明における文学・詩の重要性が語られている。そして日本文学との違いも。---これについては20代のとき読んだ吉川氏の文章ですでに理解していた。自然を純粋に愛でる日本文学の特徴---花鳥風月---しかし中国では自然描写の多くは人事や思想と強く結ばれている。かつ重要な違いは、日本と違って政治や社会が主要なテーマであること。そしてもう一つの違いは、日本は男女の恋愛が多く歌われるのに対し、中国は友情が主要テーマであること。
18頁にわたる解説は中国文学への称賛として次の文章で結ばれている(1956年の記)。
『中国最近の政治が、みずからの政治形態、ないしは文明形態こそ、、世界最上のものと叫ぶ傾向にあるのも、過去と無縁でないであろう。叫びは、外国人を、日本人をも含めて、容易に説得し切らないであろう。しかしもし文学についていうならば、この文学ほど地上を見つめてきた文学、神への関心を抑制して、人間のみを見つめてきた文学は、他の地域に比類がないであろう。シェイクスピアを中国は生まなかった。しかし司馬遷と杜甫とを、西洋はまだ生んでないように見うける。』
陶淵明(365~427、魏晋南北朝時代の詩人)についての解説もいい。(計4 9頁で詳しい)
淵明は40歳で官吏をやめ、以後故郷(江西省)に隠遁して農作業と詩作に従事し「田園詩人」と一般に理解されている。それはそのとおりではあるが、
「淵明がいなければ、李杜も白居易も蘇軾も出なかった」、と言われるぐらいの大詩人だった。その詩は言葉を超えるものをめざしたともいえ、奥が深いらしい。吉川氏の文章、を写すと、「
淵明の言葉は、つねに平静である。しかしそれは高い密度をもった平静さであり、平静なものの裏には、複雑で濃厚なものが、ひしめき、かげろっている。」
それはたとえば 淵明の詩で最も名高い、連作「飲酒」の第五首、「廬(いおり)を結びて人の境にあるに しかも車馬の喧(さわが)しさ無し」で始まるものの後半の10行、
「菊を東の籬(まがき)の下に採れば
悠然として南の山の見ゆ
山の気は日の夕(ゆうべ)なるままに佳(よ)ろしく
飛ぶ鳥の相い与(つ)れだちて帰りゆく
此の中にこそ真(まこと)の意(こころ)有り
辨(あげつら)わんと欲(おも)いたれどすでにはや言(ことば) を忘れたり」
吉川氏の解説では、「この平和な美しい風景の中にこそ、真意、宇宙の真実は把握される」。
----私の理解が正しいかわからないが、このとき 淵明は、「思想と詩情が言葉を超えるとき」をあえて言葉で表現した。さらにいえば、プロからは笑われるかもしれないが、
A.ランボーの「地獄の季節」の中の「永遠」
” Elle est retrouvee!
Quoi? l'eternite.
C'est la mer melle au soleil ”
また見つかった!
何が? 永遠
それは海と溶けあう太陽だ
あるいは日本の詩人の
「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」
これらを勝手に連想したりもするのです。
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