ユングの言葉から---癒し

私は内科医であり、精神科医ではありません。しかし、以下の文章は多くの内科医にも当てはまると思いますので、書きます。

以下は、若松英輔著「言葉の羅針盤」(2017年)から引用

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傷ついた医者だけが癒すことができる。(ユング自伝、河合隼雄他訳)

人生の危機にあるとき患者は、自らの状況を精確に訴えることができないばかりか、その現状に気付くことさえできない。深く傷ついた経験のある医師は、そのことを、身をもって知っている。治癒は、痛みが誰かに受け止められるところから始まるというのだろう。

先の一節に続いてユングは、「甲冑のような」人格を伴って威嚇するような調子で患者に接する医者は、癒す力をまったく失ってしまうと述べている。

弱さの上に立つとき人は、他者を深く慰める役割に参与する栄誉を与えられるが、強さによってそれを成し遂げようとするとき、慰藉という神聖なる任務を解かれてしまう。

そもそもユングは、真に傷を癒やすのは医師の役割ではないと感じていた。医師は、治癒が起こるのに立ち会うだけだ。あるいはそのための助力しかできないのをはっきりと自覚していた。それなら悲嘆の谷に暮らすことを強いられた者は、何を頼りにそこから抜け出ればよいのか。その鍵は、患者の胸に秘められている「物語」にある、とユングは語っている。

私たちのところに来る患者は、話されていない物語をもっており、それを概して誰も知らないでいる。(中略)それは患者の秘密であり、彼らが乗り上げている暗礁である。(ユング)

真に癒しをもたらすものは、すでに心にある。人は、それを見失っているだけというのだろう。医師は、それを顕現する環境を整えることしかできない。

人は、他者あるいは自己を傷つける存在であるが同時に、自らを癒やし、また、他者に治癒が起こるのを助けることもできる。

傷を感ずるたびに、私たちは自分にこう語りかけてよい。

お前は確かに傷ついている。しかし、お前は同時に自らを癒やすに十分な力を、その胸に秘めている。

-----以上が、若松氏の本の文章です。この方面に慣れてない人には、少しむずかしい内容かもしれませんが-----
 私は、自分の地域内の一部の人から、「こわい医者」、と過去にみられていたそうですが、少なくとも45歳の時点では、上記の内容と同じことを、自分の言葉でわかっていた、というのが、今の私の弁解です。