年末に発行された本ですが、力作です。
 他にあげた「反安倍本」とは少し意味は違いますが、安倍の発言や政治姿勢に強い危機感をもっていることには変わりありません。

 敗戦後、日本がどのような端緒から「平和主義」を作り、どのような道をたどって、それを維持し、または変容させてきたか、歴史家らしい広い視野のもとに、また多量の資料をもとにして、検証しています。
 「平和主義」は、けっしてアメリカに押し付けられたものではなく、国民の総意のもとに成立したものであり、また昭和天皇の言葉や、国会での各議論、マスコミや各方面の知識人の論調も、いろいろな場面で関与していた、と和田氏は述べています。
 (とはいえ、氏は、昭和天皇の戦争責任について、次のように書いています。----戦争責任がどのように論じられるにせよ、昭和天皇があの戦争に道義的責任をもつことは明らかなことであった。天皇は自らの道義的責任を明らかにして、いずれかの時期に退位することが必要であった。----私も同感です。もしそうであれば、「戦争責任」について、もう少しすっきりした形になり、その後の日本人にみるとおりの、戦争や敗戦についてのうやむやなとらえ方、が別のものになったと思いますが。まあ、その頃は、「国体」を維持するのに精一杯だったし、後継者の皇太子もまだ若かったので---、という意見もあるとは思いますが。)

ところで、1946年の1月、明仁皇太子(後の平成天皇)は、学校(学習院初等科6年)の書き初めで、「平和国家建設」と、立派な字で書いている(この本に、その写真が載っている)。
この写真が世に出ることになったのは、J.ダワー(「敗北を抱きしめて」の著者)が、写真のコピーを米政府文書の中から発見し、自著に公表したのが初めてとのこと。
 2014年10月、東京高島屋で催された「天皇皇后両陛下の80年」という写真展に出品され、その写真に写っていた、書き初めの現物も出されたが、和田氏はそれを見て、「衝撃を受けた」、と書いている(その理由は、省略します。明仁皇太子の字から受けた感銘、そして和田氏個人の事柄にも関連する、とある理由からである)。
 現在にまで至る、平成天皇の「平和主義」の原点となる書き初めである。

 この本には、他にも大切なことが書かれていますが、最後に結論として氏は、次のように述べています。
---- (安倍政治のように)、「平和国家」を終わらせる、「平和国家」を転換させる(という)進行中の大きな企てに立ち向かうためには、あらためて、戦後日本の平和主義、天皇と国民と知識人がつくりだした「平和国家」論の真のかたちを確認することが必要である。さらに、はじまった*新アジア戦争*の中で、「平和国家」でありつづける道を模索した努力のあとを知らなければならない。

 その上で、今日の世界と東アジア、東北アジアの危機的状況の中で、「平和国家」として生きるためには、何をなさなければいけないのか、考えぬくことが求められるのである。
 本質的にいえば、「平和国家」はなお建設中なのである。「平和国家」は、建設されなければならない。


 私(山本)もそう思います。しかし、今のTV、新聞などに、こういうまともな意見をみることはありません。
 和田氏の「平和国家」論は、理想主義すぎるのでしょうか。いえ、むずかしい地理的条件にある国・日本にとっては、一見理想論にみえる「平和国家」こそが、最も現実的な選択であることを、多くの日本人に知ってもらいたい、と私も思うのです。

(*新アジア戦争とは、朝鮮戦争やベトナム戦争などのこと。それら時代も、日本は米に基地や資源を大々的に提供したが、軍としての参加は、憲法第9条をもとに、拒否することができ、血を流すことを避けえた。ベトナム戦争が、共産主義に対する砦という大義名分が西側にはあったにしても、本質はベトナム人の民族独立戦争であり、日本がアメリカと一緒に戦場で戦わなかったのは、アジア人として意義が大きいだろう。この段落は、山本の記載)
(2015. Dec. )



★★★★ 「平和国家」の誕生・戦後日本の原点と変容
              和田春樹 岩波書店 2015