「千年紀ベスト100作品を選ぶ」
---わが青春の読書時代を懐かしむ

                        
                     平成18年1月の記

以上で、千年紀のベスト100は終わりです。国別では、仏22、独・墺14、英13、日13、伊12、露8、米8、その他(オランダ、スペイン、チェコ、コロンビアなど)が10です。さすが仏は芸術の国といったところか。独・墺、英、日、伊はほぼ同じと、配慮しましたね。ヨーロッパ人が選べば、日本はもっと少ないでしょうが、日本語がヨーロッパ人の多くの知識人に読まれるのが可能な言語ならば、このベスト100は、まんざら日本を優遇しすぎとは言えないのではないでしょうか。なお、原則一人につき一作ということのようですが、シェイクスピアとモーツァルトの2人だけは、2作はいっています。納得いたします。

最後に、私の貧しい知識・経験ながら、ベスト100にぜひいれてほしかった作品を以下に記します
「方法序説」か「省察」、デカルト
「サン・ヴィクトワール山」、セザンヌ
「マリー・テレーゼ」のどれか、ピカソ
「冬の旅」、シューベルト
「アラビアのロレンス」、デヴィッド・リーン
「ライ麦畑でつかまえて」、サリンジャー
「鉄腕アトム」、手塚治虫
平成18年1月13日〜20日
丸谷才一,鹿島茂、三浦雅士による「千年紀のベスト100作品を選ぶ」への感想
(以下は寸評です。:ベストスリーは「源氏物語」、「失われた時を求めて」、「ユリシーズ」。これらは読んでません。私は、本当の「文学青年」あるいは、「文学好き」ではなかったのですね。私の友人には、「源氏物語」を、与謝野訳と、谷崎訳のどちらも読んだ者がいます。与謝野訳は医学
生のとき読んで感動していました。私は、本は買ってますが、読んでも長続きしませんで、いわゆる「明石源氏」です。(大体の人は、心機一転、奮起しても「明石」で終わること)。なお、丸谷氏の小説で、女の文学教授の出るの(題名忘れました)を読めば、「源氏物語」の賢い読み方が少しわかるのですが。
4位と5位が「平家物語」と、「新古今和歌集」。これは大いに共感。しばしばこれらは私の枕頭の書です。ヨーロッパの14世紀、いや世界のその頃に、こんなにすばらしい物語、こんなに洗練された歌集がいずこにあったでしょうか。西行は、李白や杜甫にも並ぶ、最高の詩人だと思う。私は、小泉首相の靖国参拝には大反対ですが、これらをはじめとする、日本の文化には、大きな誇りをもっています。
6位フェルメールの「手紙を読む女」。絵は本物を見ないとどうしても評価できません。パス。7位モーツァルト「クラリネット5重奏曲」。音楽ではこれが筆頭。これよりも、バッハの何かを、という意見もあるかもしれないが、多くの人は、こちらに納得するのではないでしょうか。まさに、「音楽の神様が、モーツァルトという人間を通して」、この世に現せしめた、としかいえない音楽。曲名を言うだけで、胸がキュンとなります。
8位「ボヴァリー夫人」これが、ベストテンに入るのって、意外。シェイクスピアがベストテンに入ってないので-----。この不倫小説は私も20代前半で、読みましたが、たぶん、結婚後に読んだ方が、マダム・ボヴァリーの気持ちをよく理解したであろう。いつまでも夢を満ちすぎて、現実から転落する人間はいつの時代にもいますし、周囲の人間は、軽蔑の中に嫉妬も感ずるわけです。「マダム・ボヴァリーは私だ」、作者フローベールの有名な言葉です。おそらくこの小説は、文体がすばらしいに違いない。JPサルトルは、終章を暗記していたそうです。
 9位「悪の華」これも納得。近代の芸術(文学と絵画)は、この人格破綻者、慢性薬物中毒者から全てが始まりました。彼は「美」の概念を大きく変えた。たとえば、街で「通り過ぎる女」に一瞬の美(もしくは欲望?)を感ずるという、現代ではあたりまえすぎる感性を表現したのは、彼が初めてでしょう。古来「美」は上流階級の独占物で、そのため、美の概念もかび臭くなってきていたわけですが、2回の革命の後のパリでは、市民化階級、中産階級が余裕をもち始め、独自の文化(それは、今の世界では、あまりにも一般的な感性ですが)を、作り始めてきていた。その中の諸々の感性を始めて表現したのが、ボードレールです。美は「きれいなもの」だけにあるのではなくて、悪や、退廃や、病気や、狂気の中にさえも発見できる。そう、美は「あがめられるもの」から、「発見されるもの」に変化した。ここにおいて、芸術は、無限になったのです。言葉を変えると、「芸術の目的は、美を賛美するものでなく、人間の真実を表現するもの」に、変わったといえるでしょう。だから、20世紀の芸術は、それまでとはまるっきり変わったし、同時に難解になった。全ては、ボードレールから始まったと思います。
10位は5つ。まず、「千夜一夜物語」。ちゃんと読めば、たいへん楽しい本でしょうが、残念ながら、小学校のとき読んだ、シンドバッドやアリババしか知りません。本当は大人の本なのに。10位の二つめは「ガリヴァー旅行記」。これも上に同じ。いつかゆっくり読みたい。三つめの10位「仮名手本忠臣蔵」。 演劇関連は、大体だめです。見る習慣がない。s君によれば、歌舞伎はすごく面白いそうですが------。忠臣蔵は、丸谷氏の強いお勧めでしょう。以前、その種の本を書いていた。J.Frazer[金枝編」ゆずりの、「いのちの再生としての春」としての忠臣蔵でした。
4つめと5つめの10位は、「赤と黒」と、「悪霊」。どちらも読んだことはありますが、残念ながら1度読んだだけでは、そのすばらしさ、すごさはわからないようです。(だから、私も十分にはわかっていいない)。
スタンダールは「パルムの僧院」がわかりやすく、またとても楽しい小説。「赤と黒」はそれよりもさらにすごいのでしょうか。ドストエフスキーの小説は長くて、仕事をもってからではなかなか完読できない。「悪霊」は最もすごく、おどろおどろしい。(ヴィスコンティのおどろおどろしい映画、でもたぶん彼の最高傑作、[TheDamned]日本名「地獄に落ちた勇者ども」の所々は、「悪霊」を連想させます)。
「カラマゾフの兄弟」は、最長編ながら、もっと読みやすく、またわかりやすい小説です。ドストエフスキーの思想や理想も、ここに端的に現れていると思います。(なお、彼は予言者的な一面があり、その予言は現代社会の最も深層にある問題と、密につながっていて、彼の考えはあまりにも、的をえたものでありました)。

以上でベストテンの、14作品は終わりです。私は、バッハもカフカも、シェイクスピアも入れてもらいたかったけれど、しかたがないですね。
10位が5つあったので、次は15位。これは同時に4つ。まず「ハムレット」。私は舞台を見たことはありませんので------。「マクベス」や「リア王」ではなく、やはり「ハムレット」なのでしょうか。もし、長生きして隠居できる身分になったら、日中はゴルフか散歩でもして、夜は、シェイクスピアに親しむ晩年にしたいなあ(酒も飲むし、タバコも医者のくせしてなんぼか吸うので、あまり長生きはしないと思う。でも、酒もタバコも、俺以上にやるおやじは、85歳の今も、身体も精神もすこぶる健康で、もしかしたら俺も80以上、生きるかもしれない)。
次は「フィガロの結婚」。恥ずかしながら、私評論できません。モーツァルト、生誕250年。「モーツァルトは、オペラが最高」と聴いていますが-------。次はバルザック、「幻滅」。バルザックは読んだこともなければ、この小説の名前さえ知りません。鹿島茂氏強く推したのでしょうか。

15位の4つめは「カルメン」。先日の光が丘スペルマン病院の誘拐事件の犯人の妻の名が「カルメンシータ」で、思わず笑っちゃいました(オペラのヒロインも本名はカルメンシータ)。私、カルメンだけはみてます。しかも、何回も(DVDでですが)。この作品におけるビゼーは天才だと思う(この通俗性が好き。ニーチェもそう思ったように)。前奏曲、間奏曲を含めた、全てがすばらしい。もちろん、「ハバネラ」も、「セギディーリャ」も、「闘牛士の歌」も、「花の歌」もすばらしい。しかし中でも「ジプシーの歌」はとりわけすばらしい。私のもっている中では1980年パリ・オペラ座でのテレサ・ベルガンサの歌唱が最高である。(残念ながら、このとき40何歳かで、多少とも中年肥りのカルメンではあるが、歌唱力で外見は吹き飛びます)。幸か不幸か、私はドン・ホセのように、女性から花を投げられたことはありませんが、「カルメン」は音楽もさることながら、人間の心の根源的なもの、「元型的なもの」を扱っているから、この130年間、色あせることなく世界中の人間の心をとらえ続けているのだと思います。そういえば、河合隼雄氏の「こころの処方箋」にある文章の、「ふたつよいこと、さてないものよ」は、「カルメン」を例に取り上げていました。またそれは、私の人生を変えた言葉でもありました。

さて次は、19位が3つ。「心中天網島」。浄瑠璃では見たことありません。たしか吉田喜重かで映画がありまして、それは見てます。なんていったらいいでしょう。私はこういう世界は好きです。自分ははまりたくはないが-----。2たつめは「春の祭典」。ストラビンスキーの音楽プラス、バレエ・ニジンスキーという意味においてのようです。バレエは見たことがないのでわかりません。音楽ならもっと上位に来るのがありそうだが。3つめは「アブサロム、アブサロム」。フォークナーの小説は、おそろしく難解で、、特に日本の読者なら、文学の専門家か、それに近い修練を積んだ人間しか、理解できないでしょう。私には無理のような気がします。

22位は6つ。まず、「モナリザ」と「ロミオとジュリエット」。あまりにも有名で、誰でも知っている。だからこそ、「感動」とはちょっとかけ離れている、損な作品か。「ロミオとジュリエット」は、高校のとき見た、オリビア・ハッせーの映画がいまだ目に焼きついている。にきびづらの17歳は、2週間ぐらいボーっとしていて、勉強も、スポーツも手につかなかった。学校の机に、その女優の名を、ナイフで彫った。笑われた。その後も写真を持っていた。笑われた。うちの女房?背格好は小柄で似てなくもない。髪も黒い。でも、顔は似てない。どちらかといえば、乳母に似てなくもないです(うちの家内、私の文章は読みません)。
「奥の細道」。芭蕉は熟読してない。でも、すごいと思う。奥の細道、名所が全て観光化されているのがさびしい。こういう言い方はいやだが、「日本文学に詳しい外国人が来たら、どう思うだろう。」 さびしいのかぎりである。国が予算をつぎ込んで保護するべきた。松島、平泉、立石寺、特にこの三つは最悪である。芭蕉が泣いている。
「シテール島への船出」、ワトー。画集では見たことがあると思うが、そのよさを述べる立場にはありません。「ポーの一連の短編集」。ポーは、奇才でなく、天才だと思う。残念ながら近年は読んでないが、「黒猫」や渦巻きの話や「モルグ街の殺人事件」など、小学高学年の時は、図書館にあるのは全部読んだ(うち、貧乏で、東京オリンピックまで家にテレビなかった。小学4年から、6年までは、冬は、毎日、図書館の本を読んでいた。あらゆるジャンルを、いっぱい読んだ。伝記、シートン動物記、シャーロックホームズ、科学の本。しまいにはあまり読む本がなくなってしまった。知らないうちに、脳の財産になったのだろう。よかった。)ポーは、詩もいい。ボードレールに深い影響を与えた。
「8 1/2」、フェリーニ。これ残念ながら見てません。いつか見たい。

さて28位は、4つ。能の「井筒」。能は見たことありません。俺、日本文化にも弱いなあ。文化を論ずる資格はないのかもしれませんね。「ロビンソンクルーソー」。これも小学のとき読んだだけで、本物は読んでいません。「ファウスト」、ゲーテ。熟読はしてないが、大体読んでる。豊富な細部にあふれている。熟読したい。「夢判断」フロイト。一部は読んでる。彼は無意識の世界を探求し、20世紀の学問、芸術、哲学の変化の礎になったのはわかるが、何でも性に結びつけるのに、ついていけなくて----。きっと、ちゃんと読んでないから、こんなことをいうんでしょう。
32位は「トスカ」ひとつ。このオペラは、そんなにすばらしいのですか? 食わず嫌い。ストーリーが下品な感じがして、今までちゃんと見たことがありません。オペラは大衆演劇だから、ストーリーが低レベルであっても、当然といえば当然なのでしょうが。一般にオペラはよく知らない。

33位は4つ。「神曲」。日本語訳を少しと、英語訳をわずかに読んでます。la Divina Commediaは内容もさることながら、作品(詩、韻文)の構造が美しい。一つ一つは3行詩で、何千というそれによって、全体が成り立っていて、結局は、33×3+1=100のcantoから成っています。「3」という、キリスト教社会ではとりわけ神聖な数字によって、入れ子構造のように成立しているわけです。詩ですから、全て韻をふんでいます。しかも、aba,bcb,cdcのように、流れるような音楽的な押韻です。原語で読めればすばらしいでしょう。手元にある、R.Pinskyという人の英訳も、原語のように韻をふんでいるのが驚きです。「不思議の国のアリス」、これは読んでいません。「白鳥の湖」(バレエ(プティパ)と音楽でとのこと)。舞台芸術、私疎遠です。
そして、「変身」、カフカ。この小説は短いので、読んだ人も少なくないと思うが、なぜそんなによいのか、わからない人が多いはずです。カフカなら、「審判」か「城」にしてもらいたかった。彼もドストエフスキーのように、予言者的な面があり、現代社会の深層を、半ば意識せずに、探り、暗示することになりました。カフカの文章は、けっして難解ではありません。日常の言葉が続くだけです。全6巻の全集をほぼ読んだ私には、「歌姫ヨゼフィーネ」や、「日記」や、「ミレナへの手紙」など、全てが好きです。もちろん、「変身」も好きです。、なお、黒澤明の、「生きる」は、ストーリーの展開を、「審判」にヒントをえたと、思われます。「救い」を求めて、彷徨する人間の姿。黒澤の映画では、「救い」は現れますが、カフカの小説では、けっして現れることはありません。現代に生きる、大部分の人間と同じように。

37位も4つ。「ノートルダム寺院」と「ベルサイユ宮殿」、建造物では初めて出てきました。建造物こそ、実際に見ないと何もいえないはずですから、私は無言でいましょう。なお、若いとき愛読した森有正氏のエッセイには、ノートルダム寺院が何度も何度も出てきますが、近年彼の評判は、全くよくないようです。文明や哲学、倫理、学問といった高尚なことを書いていたわりには、愛人のような書籍装丁女性から、私生活を暴露されたことや、「西洋崇拝一辺倒」で、自国の誇りを忘れた人間みたいにいわれている。森氏はあくまで普遍的なことを述べていただけで、自国を卑下したとは思っていなかったでしょう。(西洋賛美はあった。)私は今でも、森氏の文章は好きです。私生活で、たとえ愛人がいようと、若い頃は人の悪口をしょっちゅう言ってたとしても、彼の業績を貶める理由にはならないと思う。(ま、哲学者なら、ニーチェのように知的に誠実であればあるほど、人の悪口は、だんだん言わなくなるものではあるはずですが。隠れた悪口ではなくて、公然とした文章や、相手との会話の中でものを言うべきではあります。たいへんではあっても。)
同じく37位、「マノンレスコー」。若いとき読みましたが、1000年の内の37位に入るべきものなのかどうか。たしか、Famme Fatale(Fatal Woman)に身を滅ぼすような男の話だったと思いますが。仏文学にはこの手のストーリーが多いようですね。金に余裕のある暇人には、これくらい刺激的なものでなければ、暇つぶしにはならないのかもしれません。「ワーニャ伯父さん」、チェーホフ。チェーホフは、読んだことがありますが、そのよさはよくわかりません。私には文学的才能がないためでしょう。

だんだん疲れてきました。41位は6つ。「デカメロン」、10の話という意味ですね。読んだことはありませんが、映画では見たことあり。パゾリーニだったかなあ。エロチック、猥褻だったことしか、覚えてない。俺も若かったからな。イタリア語という「現代語」でかかれたことに、意味があると、確か歴史で習った覚えがある。
「マタイ受難曲」、バッハ。この3人の評者によれば、「マタイ受難曲」よりも、「マノンレスコー」や、「トスカ」の方が、すばらしいということですね。私には信じられない。。ま、遊びですから、どうでもいいのですけど。私はクリスチャンではありませんが、この音楽をすごいと思う(レコードでしか聴いたことはありません)。この曲は、17世紀までのヨーロッパ(ドイツ)の音楽を集大成したものといえるでしょう。われ、聖書をちゃんと読んだことはあらざれど、この曲を聴いてクリスチャンになりたいと思ったことありき(笑ってたもれ)。プロテスタントの信者という立場になってこの音楽に身を浸したら、おそらく「宗教的経験」を感ずることができるのだろう。でも、哀れな無神論者の私にも、キリスト教の本質のごく一端には、触れることができるような気がする。
吉田秀和氏は、ラジオで次のように言っていた。「この音楽は、たびたび聴くようなものではない。(たまに聴けくようなものだ。) でもすばらしい作品であり、(クリスチャンではない98%の日本人にとっても)、向上心をもつ人間になら誰にでも、、この音楽はかけがえのないものを与えてくれるだろう。」、と。私もそう思います。「シャコンヌ」など、バッハの音楽の精神性とは、いかなる理由で発生しているのか,思えば思うほど不思議です。
同じく41位「白鯨」。米文学は親しんだことなく、すみません。自分は軟弱な人間ではないのだが、何でも読むほどのエネルギーはなかった。「アンナカレーニナ」、この不倫小説は読んでます。長いが時のたつのを忘れて読みました。トルストイは、大正の白樺派に人気があり、イメージ的にも聖人っぽいわけですが、このロシア大地主の末裔の私生活は、かなりひどいものだったそうですね。でも、セントアウグスチヌスの人生にも、似ているのでしょうか。若いときの放蕩を悔い、晩年は清らかな生活を唱えた。(唱えている最中も、トルストイの品行は正しいものではなかったようですが。) クロイツェルソナタに、不倫の危険性を鋭く感ずるあたり、トルストイは「宗教的人間」というよりは、「文学的人間」といえましょう(われわれ凡人には、ベートーヴェンのこの音楽を聴いても、ロマンチシズムを感ずるだけです。トルストイはすごい人です・)。
「ロリータ」、ナボコフ。この本買ったことありません、有名ですが-------。ロリコン趣味もありません。おばさん趣味はもっとありません。「ボレロ」、ベジャールのバレエで。みたかったものです。

47位は二つで、「娘道成寺」、初代中村富十郎、と「細雪」。前者はパス。後者で、日本の明治以降の小説が始めて出現しました。「細雪」は本も買ってません。「刺青」、「少将滋幹の母」、「春琴抄」、「鍵」、「ふうてん老人日記」などは読んだ覚えがあります。一般的にマゾヒスティックで、若いとき読んだときは、自分もヘンタイになりそうで、あまり深入りはしませんでした。谷崎がなぜ文豪なのかは、私はわかりません。


49位は3つ。「人間嫌い」、モリエール。読んでません。いまどきモリエールを読む人って、演劇関連に携わっている人ぐらいではないのかなあ。「好色一代男」、西鶴。古典全集でもってはいますが、ちゃんと読んだことなし。「世の介」とかいう名前しか知らず。いつか読みます。「我輩は猫である」。名前が有名な割には、ちゃんと読んだ人は少ないのではないか。やや、難しい内容です。
社会風刺、文明風刺にあふれた力作だとおもいます。(この3人の評者は、たぶん、暗い作品は嫌いというてっで、共通していそう。だから、「彼岸過ぎまで」も「行人」も「明暗」も入ってこない。)「我輩は猫である」で覚えているのは、「今後、生活が豊かになれば、自分を大切にする人が増える。ということは、わがままな人間も増える。だから、離婚がすごく増える」、というようなことをある人物が述べているところです。まったく、漱石の言うとおりになりました。

52位は13もあります。さすがに選者たちも疲れてきたのでしょう。順番を細かくつける当初のやり方が、無理なことがわかってきたのかな。遊びとはいえ、たしかに無理なことです。
「鳥獣戯画」、美術の国日本での、最上位がこれであるとは、意外な人も多いのでは? でも私は賛成。絵はごく限られたものしか見てないが、この絵は(正確にはこの作品の半分は)、東京で偶然見ました(もともと京都の高山寺にあるはず)。人がいっぱい並んでいて、長くは見れなかったが、感動しました。絵のことは全然知識のない私にも、この作品はすばらしいと思った。それまで、これが美術的にすばらしい絵だとは、全く知らなかった。社会科の教科書で、ウサギとカエルが相撲をとっている絵の写真を見ただけでは、絶対にわからないと思う。本物を近くで見ないとわかりません。「タッチ」ていうんですか、線の一本一本が実にすばらしい。筆の一本一本に、いのちが通っているんです。野にある草草の、その優雅なこと!人類で日本人だけがやさしいなどと、産経新聞や扶桑社の方々が言いそうなことと同じことを言うのはいやですが、鳥羽僧正の昔から、日本人はいのちを、草花を慈しんできたことを、改めて感じました。日本人であることに誇りを感じます。
「春」、ボッティチェリ。ルネサンスを飾るこの絵を私は見たことありません。製薬会社の宣伝などにも使われていて、陳腐化しつつあり、かわいそう。著作権などなくても、人類にとって大切な絵や音楽は、野放図に宣伝なんかに使われてはなりません。保護されるべきです。民間会社も、それぐらいの感性・良心は最低限もってほしい。「夜警」、レンブラント。もちろん知ってますが、実物を見てないので。「雨・蒸気・速度」、ターナー。これは見てます。美術館に行く習慣も、旅もほとんどしない私が、なぜこれを見ているのか不思議。よかったです。しつこいが、絵はやはり実物を見ないと何とも。
ところで、これら4つを52位に同時に並べたのは、心憎い選択ですね。共感します。

さらに52位は続きます。
 「椿姫」、ヴェルディ。恥ずかしながらみてません。たしか、F. ゼッフィレリの映画もあったのでは?ぜひみたい。マリアカラスの伝説的な舞台の映像も、残っていればよかったのにな。La Traviataの原作はデュマ・フィスで、ヒロインの名はマルグリットですが、彼がこの小説を書いたのは、ヒロインの職業(ご存知ですね)が、いかに悲惨であるかを訴えたかったためとのことです。意外ですね。「ドーミエの一連の風刺画」、これは全く知りません。あしからず。「トリスタンとイゾルデ」、ワーグナー。これも見てません。昔、カラヤンが日本で来て「愛と死」を演奏していったのは、ラジオで聞いてましたが------。ワーグナーの音楽に親しんだことはありませんが、なんかとても猥褻な音楽のような気がします。自分の心が猥褻だから、そう聞こえるのでしょうか。
「ムーランルージュにて」、ロートレック。このポスターのような絵はとても有名ですが、実物は見てません。ただし、吉田秀和氏の「トゥールーズ・ロートレック」という本で、ロートレックのすばらしさの少しは知りました。(彼の本では、セザンヌのすばらしさも。) そういえば、このベスト100には、セザンヌが入ってない。ピカソも。ゴッホも。彼らもすばらしかったけどなあ。)
「魔の山」、トーマス・マン。これはとても面白い小説ですが、半分ぐらいでやめてます。仕事をもってからでは、いくらよい本でも、途中でやめてしまうことが多いです。根気がないなあ。晩酌してしまって、頭が麻痺してしまうからなあ。いつか、ちゃんと読みたい。「ディスカッション小説」は、私大好きです。三島由紀夫の「美しい星」なども「ディスカッション小説」で面白いです。「キングコング」、昔の映画。これはみてません。子供のときにみた東宝の「ゴジラ」や、「モスラ」など、怪獣映画はとても楽しかった。ゴジラはこわかった。ゴジラやキングコングは、人間の不安の「元型的なもの」に関連があるから、人気があるのでしょうね。ただし、京大教授(霊長類の研究)の山極氏によれば「キングコング」のために、ゴリラの性質がずいぶん誤解されることになったと、悔しがってました。本当はとても、温和でやさしい動物なのに。ホモサピエンスの方が、ずっと野蛮だわな。
「百年の孤独」、マルケス。これも途中でやめてしまいました。残念。文学がよほど好きでないと、医者をやりながら長編小説を完読するのは、なかなか困難です。晩酌もやるからな。「弦楽四重奏曲13番」、ショスタコーヴィチ。聴いたことありません。当地域の医師T氏によれば、ショスタコーヴィチの「交響曲5番」は、とてもすばらしい曲だ、とのことです。しろうとすぎる私にはわかりませんでした。
これにて52位は終了。次は、65位が11。
「ヴィーナス」、クラーナハ。これわかりません。マルティン・ルターの肖像画のクラーナハでしょうか。「トム・ジョーンズ」、フィールディング。これもまったくわかりませぬ。「告白」、ルソー。これは読んでます。面白いです。自伝文学の嚆矢となる作品。でも、後世の研究者によれば、かなりうその部分が混じっているそうですね。自伝って、たいがいそんなもんでしょう。貧しいルソーは、持ち前の言葉と男前で、貴婦人を次から次へと騙していって、アンシャンレジームのフランス社会でのし上がっていったんですね。「パルムの僧院」のファブリス・デルドンゴみたいに。ルソーは、「孤独な散歩者の夢想」もよかったです。「弦楽四重奏曲15番」、ベートーヴェン。たぶん聴いたことがあるとは思いますが、メロディは覚えてません。ベートーヴェンは、晩年のこれらが最高とのことですが-----。私は、どうせ入れるなら、歴史的な意味合いにおいても、「エロイカ」か、「パッショナータ」の方にしてもらいたかったです。「ジゼル」、コラリ他のバレエ。これ見たことありません。「水晶宮」、イギリス。これも全く知りません。「ユーディット」、クリムト。この絵は知りません。100年前、世界大戦前夜のウイーン(マーラーと同時代)の装飾的な彼の絵は、男と女が抱き合っている「接吻」が有名ですが----。

[マルテの手記」、リルケ。この本の、前半は19歳ごろに熟読してます。そのために、現実生活への適応が3年ばかりおくれました。。私、今は俗人そのものですが、その頃は芸術家的な生き方にあこがれていたので、仕方なかった。後悔してません。そう、リルケの生き方・思想は芸術至上主義です。(彼は芸術家だから当然といえば当然) とはいえ、「若い詩人への手紙」にも書かれていますように、もし芸術家になれなかったとしても、リルケのようなものの見方は、私たちに何か大切なものをもたらすと思います。「物事の真実のみを見透そうという心がけ」、みたいなもの。たった一行の詩を書くのでさえ、そうした態度を何年も、何十年も続けたあげくに、やっと可能になるのだ、とリルケは言います。まあ、世間で生きるには、邪魔になるだけですけどね。リルケは病弱で、最後は薔薇の棘を指に刺したために、敗血症になって死んだそうですが、まるで彼の詩そのものみたいですね。リルケの体は病弱でしたが、精神は頑健そのものと思います。
 医者、医学生なら、早く俗人そのものになりきり、俗人の感性そのものを自らの内に取り込まなければならないのに、私は間違った道を歩いていました。言い訳としては、うちには金がないので、とりあえず生計を支える職業につかなければいけないのだと、自らに言い聞かせてました。この態度は、大学の教官にも、未来の患者さまたちにも、たいへん申し訳ないものだったと思っています。今でも、その頃の「負の遺産」をもっているのかもしれません。
「ワイルドパンチ」、ペキンパー。このB級映画のチャンピオンの映画は、見た覚えがありません。千年紀のベスト100なら、もっと別のもありそうですが-----。「アラビアのロレンス」も入ってないし-----。この3人は、デヴィッド・リーンもチャーリー・チャップリンも、評価してないんだな。大ブーイングです。
「地獄に落ちた勇者ども」、ヴィスコンティ。原題名の「The Damned」が全くぴったりですね、この映画。([こん畜生たち」、「クソったれたち」みたいな意味もあるでしょう)。最初見たとき(21歳ごろ)は、なんだかよくわからなくて、途中で眠ってしまった。近年、DVDでみたら、評判どおりすごい映画だった。ロリコンあり、子供の自殺あり、母子相姦あり、集団虐殺ありと、おどろおどろしく、不健康きわまりない映画だが、何回も見てしまいました。(母子相姦の実場面が出る映画なんて、劇場映画史上きっと最初で最後ではないか。しかし、正直言いにくいが、たいへん甘美でした。でもこれは、その母の地獄落ち以外の何ものでもありません。絶対に真似しないでください)。 ヴィスコンティの作品はだいたい見てます。「夏の嵐」(原題名はSensoで、官能という意味)、「ヴェニスに死す」、「イノセント」、「家族の肖像」、などなど。「地獄に落ちた勇者ども」は、出だしの溶鉱炉の画面と、モーリスジャールの音楽で、何ともカッコよく始まる。ナチス台頭の時代の、大企業家一族の混乱と悲哀を描いてますが、あらゆる細部がすばらしい。(これはヴィスコンティ映画に共通する特徴であり、魅力であるわけです。) 時代背景の描写もすばらしいし、人間の暗部の描写もすばらしいと思います。ヴィスコンティのテーマは、「没落するヨーロッパを華麗にかつ哀切きわまりなくうたいあげる」ことにあるでしょう。この映画で彼の仕事は、画竜点晴を描ききったと思います。
「暗殺の森」、ベルトリッチ。わかりません。1970年代あたりのイタリア作家の小説でしょうか。以上、65位でした。

 エート、52位をひとつ抜かしてました。「ローマ帝国衰亡史」、ギボン。これは半分ぐらい読んでます(ほんと、半分読んでやめてる本が多い。そういえば、ここに引きあいに出すのもなんですが、西田幾多郎だかも、ちゃんと一冊の本を最後まで読むことはない人だった、とのことです。私とは全然、理由が違うのでしょうが。) もちろん中野好夫訳で読みました。
 私は、もう一度生まれてきて、生計に困らない境遇だったら、歴史家になりたい (いまやってる医者の仕事が嫌いというわけではないです。) 歴史家は、まず広範な知識を頭の中に詰め込まなくてはならない。その後、想像力をたくましくしないといけない(史実の行間をうめる創造的な作業です)。しかしそれらだけでは全然だめです。人間もしくはその集団が、ある状況において、どんな風にものを考えるか、そしてどのように現実に行動をとるかの、あらゆるパターンを知っていなくてはならない。皇帝が、貴族階級が、商人が、農民が、異国人が、奴隷が、貧乏人が、、それら各々が、どのような状況で、どのように行動をとるかをよく知ってないといけない。すなわち、「人間通」でなければ、本当の歴史家にはなれないでしょう。(私は人間通とはいえませんけど)。
 なるほど歴史は科学ではない。史実を除けばたしかに、歴史の「正解」はひとつだけではない。しかし、この世には、人間と社会の常識、文明の常識、時代の変化に関する常識はあるでしょう(常識は、定石と読み替えてもいいです。) 史実に関して(たとえば1937年の日本軍による南京攻略のときの、犠牲者の数のように)、相反する史実のあるとき、歴史家は、その状況で、日本軍が、中国の一般の人間が、どういう行動をするかという、想像力を働かせることになるでしょう。その際、渡部昇一のような、子供のときから、青年期、中年期の全てが、書斎に閉じこもっているような人間に(これは私の推測ですがまず間違いないはず)、人間の行動パターンがどれほどわかるだろうか。谷沢永吉も「人間通」という本を書いてるが、チョー書斎人間の彼がどれほどの人間通か、私は疑問をもっています。もちろん左翼の学者にもカビの生えた書斎純粋培養人は多いでしょう。いずれにしても、いろんなパターンの人間を現実的に知らなければ、歴史をまともに論ずることは無理だと思います。推理小説の世界に、arm chair detective は可能でしょうが、歴史学においては、arm chair historianはありえないと思います。長くなったのでもうやめておきますが、ギボンはどんな人だったのでしょうか。

フー-----。息切れしてきました。次は76位が16こ。「ダビデ像」、ミケランジェロ。もちろん、見たことありません。フィレンツェの街角にあるんでしたっけ。きっと、高貴なものなんでしょうね。「寓話詩選」、ラ・フォンテーヌ。名前しかわかりません。だんだん実力が出てきました。「ファニー・ヒル」、クレランド。いやらしい動機で本は買ったものの、これを読むほどの英語力は私にはありません。丸谷氏によれば、この18世紀の小説は、「教養小説」(この意味わかりますか。主人公が成長していく物語という意味ですよ)であり、典雅で宮廷文化性を感ずる小説であるとのこと。エロ小説と思っていましたが、意外ですね。鹿島氏は「悪徳の栄え」は推薦しなかったのでしょうか。その代わり推挙したのが、「回想録」、カサノヴァ、ですか。これ、全然知りません。100人切り、1000人切りの話でしょうか。「ドン・ジュアン」、バイロン。ドン・ファンもドン・ジョバンニも私はよくわかりません。無縁の世界です。「レ・ミゼラブル」、ユゴー。読んだことなし、ミュージカルも見たことなし。「タイムマシン」、ウェルズ。これは読んだことないが、小学6年生の頃、彼のはいくつか読んだ。面白かった。「海底2万海里」、「81日間世界一周」、などだったでしょうか。想像力に富む楽しいお話。きっと今読んでも楽しいことでしょう。「シラノ・ド・ベルジュラック」、ロスタン。読んでません。高校のとき、ラヴレターを代わりに書いてやったことはあります。自分の経験さえないのに、相手の心を動かす文なんて、作れるわけないがな。申し訳なかったです。だんだん、消化試合的になってきました。

 「交響曲第5番」、マーラー。これは、レコードやCDでならよく知ってます。何回聴いても飽きません。でも、千年紀のベスト100なら、「9番」でないでしょうか。不満が残ります。さて、もう6年、2011年は、マーラーが死んで100周年です。いろいろイヴェントが開かれそうですね。「南回帰線」、ヘンリー・ミラー。アメリカの小説はほとんど読んでません。若いときは、ヨーロッパかぶれだったんでしょう。行ったこともないくせに。英語で一応完読したアメリカ小説は、「The catcher in the rye」のみ。21歳ごろと、遅かったけどね。「sunovabitch」の意味もよく知らないくせに、最後まで読んだんだ。だから日本語訳は読んでない。エヘン。高校のとき、しよっちゅう学校をサボっておこられていたボク、家庭もあまり楽しいとはいえなかったボクには、野球部をやめてからは親友もいなくて、唯一、かわいくて仲のよかった6歳違いの弟がいて(ホールデンは妹でした)、いつも一緒に、「サザエさん」とか「ザ・ガードマン」とかを見ていたんだ。だからどうっていうこともないんですけど-------。
 「7人の侍」、黒澤明。名作ですよね。ストーリー、アクション共々。クロサワの映画はすべて見ているわけではないが、ひとつの特徴に、「頭の中の地図が、映画の中で現実の場面となって出てくる。それがワクワクする。」みたいなことがありますね。この映画や、「天国と地獄」です。映画の手法として、今後も有力なのではないでしょうか。きっと、クロサワも地図が好きだったのではないか。(私も、小学のときは、地図を見てれば、何時間も飽きないでいられました。残念ながら、高校では、地理は得意ではありませんでした。大人になってからも、旅はあまりしてません。せっかくの一生なんだから、いろんなところへ生きたいな)。「勝手にしやがれ」、ゴダール。ヌーヴェル・バーグの映画はほとんど見てません。世代がちょっと----。ボクがよく見たのは、アメリカン・ニュー・シネマだった。「俺たちに明日はない」とか、「明日に向かって撃て」とか、「卒業」とか。ところで、ジャン・ポール・ベルモンドとウオーレン・ビーティ(後年、ベイティと読む)って、何か似てるよね。「北北西に進路を取れ」、ヒッチコック。テレビで後半だけ見てます。評価できません。「鳥」はみてます。こわい。「ブリキの太鼓」、グラス。みてません。「フランドルへの道」、シモン。これわかりません。小説でしょうか。「去年マリエンバートで」、アラン・レネ。やはりヌーヴェルバーグは見てません。名作とは知ってますが。以上、16本の76位でした。
 さてあとは、9つの92位で終わりです。「サンマルコ広場」、と「紫禁城」。この二つは1000AD以降のものなんですね。「海の都の物語」は読んでますが、内容は忘れてしまいました。もちろんどちらも行ったことありません。デヴィッド・リーンの「summer time」(日本名は「旅情」でしたっけ)などの映画でしか知りません。いつかいきたい。「エセー」、モンテーニュ。読んでません。いつか読む気はあります。「ドン・キホーテ」、セルバンテス。3分の1ぐらいは読んだ。根気が続かなかった。「鼻」、ゴーゴリ。わかりませぬ。「草上の昼食」、マネ。印象画派の先駆的作品。実物は見てません。ビーナスの裸は芸術的で許されても、ピクニックでの隣のお姉さんの裸体は、「わいせつ」で、ショッキングな事件だったんですね。「ツァラトゥストラはかく語りき」、ニーチェ。熟読はしてません。ニーチェは「人間的な、あまりに人間的な」や「善悪の彼岸」がわかりやすい。(とはいえ、私にはその一部しか理解できない。) 物理学や進化論などの自然科学により、この世の「真実」が、いよいよはっきりしてきて、多くの人間にはとうてい、キリスト教を「心から信仰することができなくなってきた」19世紀後半のヨーロッパで、彼は人類の未来をいち早く先取りした思考に没入しました。でも-----、梅毒による狂気・痴呆の寸前だったニーチェ。貧しく孤独なニーチェ。女にも全く縁がなかったニーチェ。それでも、「女の本性」をいつまでも書きつづけた反フェミニズムの愛すべきニーチェ。古今東西の中でもたぐい稀な「知的誠実性」を貫いたこの人に、私は深い敬意を感じます。
「接吻」、ロダン。これはわかりません。そして最後は「至上の愛」、コルトレーン。レコードは買った覚えがあるが覚えていません。

その頃買った丸谷才一の「いろんな色のインクで」という本に、「千年紀のベスト100を選ぶ」というのがあります(三浦雅士、鹿島茂と3人で選んだもの。2000年に小説現代という雑誌に載ったものらしい。)
 これがたいへん楽しく、また大いに共感した。
   (私は若いときは、陳腐な人生よりは、芸術の方がずっとすばらしいと思っていた。もちろん、今は違います。この両者は、どちらがすばらしいとか、比べるべきものではない。人生なしに芸術はありえない。両者は相補的なものでもあるでしょう。) 

そのベスト100は、世界中の、この1000年間の、文学、建築、音楽、劇、絵画など、全部一緒くたにして、順番をつけるという、野蛮な評価でありますが、なかなか、いい企画で、結果も上に書いたとおりのものでした。
 以下に、その感想を