坂本龍一氏のこと

    
 秋田県の医療関係の機関誌に出した文章
           (令和5年11月)

 作曲その他で活躍した坂本龍一氏が今年3月に進行がんで亡くなった。自分と同じ年齢だったこともあり興味をもって、訃報の報道を読んだ。音楽に詳しくない私は、生前の氏の音楽には無縁であった。映画に付随したメロディーの一つか二つを知っていただけである。

 その後の6月に是枝裕和監督の「怪物」を見たとき、映画の内容もよかったが(私は是枝監督のファンである。「そして父になる」、「海街ダイアリー」)、今回の映画の中の音楽がとても心に沁みた。流れた音楽は、映画を製作中に監督が教授に(教授とは坂本氏のニックネーム)、ぜひこの映画の音楽を作ってと依頼した際、教授の回答は、「私の体にはそれにたずさわるエネルギーが残されていない、でももしよければ今まで作った自分の音楽を自由に使ってください」、というものであり、監督はそのようにさせてもらったとのこと。

 このエピソードも素晴らしいが(二人の美しい信頼関係!)、これをきっかけに私は坂本氏のCDを何枚か買い聴くことになった。これまでの私は氏のことを何も知らなかった。テクノポップなどの新しもの好き、西洋とアジアが折衷された旋律?、あるいは顔に化粧したり、何回も離婚した男---ああ、そんなのはどうでもいいことだった。

 「12122020」の15曲とそのピアノ演奏の、静謐なメロディー。氏の音楽に触れていなかった人はぜひ、一人の部屋でこの音楽を聴いてみてほしい。なお、このCDは、氏が進行がんであることを告げられた翌日の録音だったそうだ(CDの題名はその日のこと)。G.マーラーがこの世との別れを表現したと思われるシンフォニー第9番、それと比べるのは無理があるかもしれないが、坂本氏はこの演奏で、自分の人生の短さを嘆き、しかしそれ以上に自己の音楽の長さ(永遠性)を信じていたような気がする。

 そういえば氏は生前、社会的発言も行い、原発や環境の問題、そして平和主義に関する政治的発言も行っていた。日本では、芸能人や芸術家が社会問題について声を大きくするのは珍しいことだが、欧米では全く普通のことである。それらの問題の是非を論ずる資格を私はもたないが、氏のような知性豊かな人間にとって(それは、最後の著書「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読めばよくわかる)、近年のこの国の惨状をみたとき、沈黙は悪、彼はそう考えたはず、と私には思える。

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