健康・病気・医学の言葉から

   (青文字はその言葉、黒文字は私のコメント
           主に種本からの翻訳)


1. 健全な体に健全な精神が宿るように願いなさい。
       古代ローマの人・Juvenalの言葉


 多くの人は、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」、と覚えているのではないでしょうか。しかしそれは間違いです。中学時、あまり好きでない体育の先生がそう、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」、と言っていました。2,3か月後に、担任であった英語教諭戒田先生は、上に書いた正しい言葉を私たちに教えました。私は強く納得した。だって、不健全な精神が健全な肉体に宿っている例をいっぱいみていましたから。
 戒田先生はおそらく運動は得意でなかった。そのためか、あるいはS校長に睨められていたからか(戒田先生は熱心な日教組教員)、応援部の部長をやらされていた。英会話クラブの部長をやらせたら最高だったのに。学校の先生も公務員だ。上には反抗できない。
 私は運動は好きだ。でも運動が嫌いな人も生徒の中にはいる。私の考えでは、人はみんな生来、運動が好きなはずである。しかし運動が嫌いな生徒や大人がいるのは、無理やりな競争でいやな思いをさせられたり、無神経な体育教師にみじめな思いをさせられたりしたからだ、私はそう思っている。



2.  運動する時間を見つけられない人は、病気を見つける時間をもつだろう。(英国の格言)

 1.の言葉とは無関係です。医者としての経験、身近な人達の寿命や健康度を考えれば、この言葉は真実と思います。循環器疾患や糖尿病に関する予防や治療の他、運動している人はがんになりにくい気がしますし、認知症の予防にもなっているような気がします。


3. 人生は短し、技能(art)は長し
 (ヒポクラテス・古代ギリシアの医師、医聖)

 art・技能とは、長い経験によって身につけたわざ、というような意味。ヒポクラテスは医師たるもの人生が終わるまで長く医術の進歩を怠らないよう、努力せよ、というような意味で言ったのでしょう。坂本龍一さんもこの言葉を引用していますね。ただし、artを芸術という意味に使って。そういう引用にも私は賛成です。2600年前のヒポクラテスもうなづくのではないでしょうか。


4. キーキー鳴るドアは長持ちする。(英国の格言)
 いろいろと故障をもっている人や若い時病気がちだった人は意外にも長生きする、ということでしょうか。そういうこともあると思います。

5. 医者たちはこう考えがちである。彼らは病気の原因がわからない場合、「神経」のためとする。(神経=nervous=神経質)  J.キーツ
 現代に生きる内科医として、私は仕事上そうならないように注意しているつもりです。なお、30年ぐらい前に比べて、「神経質」な人はだいぶ少なくなったと思います。たぶん医学や機械の進歩で、病気のことが詳しく正しくわかるようになったからと思います。


6. それら(各種の治療法や手術)をできるからという理由だけで、それを行うことには慎しみをもつべきである、このことを私たちは学ばなければならない。T.Fox (20世紀の英国人)

 医者以外の人には何を言っているのかわからないかもしれませんが---。
現代においても少数の医者が、過去においては少なからぬ医者が、たとえばその手術の技能があるからという理由だけで、実は患者のためにならない手術が行われたことがあったかと思います。医学用語でいえば、「手術適応の間違い」。こういうことはあってはいけないことです。


7. 一日一個のリンゴは、医者を遠ざける。(英国の格言)

  同感です。

8. 過去においては宗教が強力で科学は弱く、人は医学の代わりに魔法を用いた。しかし現代では科学が強く宗教は弱くて、人は医学を魔法の代わりに用いている。(T.Szasz)

 そういう面はあると思います。医学は人間の生にとって万能ではありません。精神性の理解については医学はまだ発展途上ですし、偶然出会った運の悪さ、などについても科学は何の解決法も示してくれない、と思います。


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