追悼  大江健三郎さん

 大江健三郎さんが2023年3月亡くなりました。享年88歳。大江さんには、1度秋田市での講演でお顔を拝見しています。私はなぜか、大江さんの書くことはすべて正しいと思って読む人間なので、ある人たちからみればもしかしたら「片寄っている」のかもしれません。しかし自分の知識と経験にはおのずから限界があるわけで、わたしはそれでいいと思っています(自分がそのように無批判的に読む人には、他に加藤周一と丸山眞男がいます。ああ、みんな亡くなってしまいました)。

大江氏の小説は、24歳頃まではよく読んでいましたし、理解できました。つまり、「万延元年のフットボール」までは熱心な読者だったということです。特に「芽むしり仔撃ち」、「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」がよかった。「芽むしり仔撃ち」に関しては、後にノーベル文学賞をもらうことになる川端康成の評で、「この人は、(一般にみられているであろう実存主義的、論理的な作風ではなく)、実は情緒的な要素が強い作家ではないか」、そのように評したと記憶していますが、この小説についてはそれが当てはまると思います。

「個人的な体験」は大江氏の転機になったもので、文体、内容も一流作家のものと思います。最後の数行については、三島由紀夫が厳しく批評していますがどうでしょうか。きっと大江氏自身は、その評価は拒むと思います。

「万延元年のフットボール」は、私の読んだ氏の作品の中では最高のもので、内容、テーマもいいし、なにより文体が濃密です。たぶん22歳でこの小説を読んだ私は、全編これ詩文と捉えたものです。

23歳で人生の中で最も小説の読解に優れていたと自分でも思う時期、私にとっては次の3つが最高の小説でした。カフカの「城」、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」、そして「万延元年のフットボール」でした。音楽には音楽でしか表現できないものがある、同じように小説には小説でしか表現できないものがある、優れた小説はそういう機能をもっています。

残念ながらその後の大江氏の小説は、文体が濃密になりすぎて、私のレベルではもう理解出来ない高みに達してしまいました。次作の「洪水は魂に及び」がそうでした。テーマは十分に興味のあるものでしたが(未来を変えようとする宗教団体の話だったと思います)、氏の日本語が理解できず、途中で断念しました。「人生の親戚」は読みました。テーマが切ないので理解しやすいのですが、やはり文章の所々が理解できなくて---。「燃え上がる緑の木」も名作らしいのですがちゃんとは読んでいません。

 晩年の小説のなかで、「取替え子」は読みました。テーマが高校からの親友かつ義兄の伊丹十三を偲ぶものであったからです。「晩年様式集」も読んだはずですが中身はよく覚えていません。


小説以外のエッセイ系もよく読みました。氏の20代の3冊、「厳粛な綱渡り」、「持続する志」、「核時代の想像力」はしっかり読んだ覚えがあり、たぶん自分の考え方に大きな影響を受けたと思います。「ヒロシマ・ノート」と「沖縄ノート」も読んでいますが、私にとってはやや難しかった。いろんな知識と経験が増えた今の方が、たぶんよく理解できる作品と思います 
ここ1.2年では(氏が亡くなる前です)、以下のようなものを読みました。

 
なお、大江氏の小説の概要を知りたい方には、尾崎真理子著「大江健三郎全小説全解説」がお勧めです。大江氏のほぼすべての小説についてとても詳しく解説された、チョー力作です。2020年講談社の発行です。