★★★★ 現代秀歌 永田和宏 

岩波新書 840円 
2014

永田氏は、現代を代表する歌人の一人です。

この本の素晴らしさについては、amazon.com.のこの本についての書評欄に、適切な文章が載っていましたので、末尾に転載し、短歌についての門外漢の私がとやかく書くのは遠慮します。

私が以下に書くのは、やや脇道にそれた事項についてです。

1. 永田氏は、「一流の歌人」であると同時に、「一流の科学者」です。これは本当にすばらしいことであり、稀有なことです。

 細胞生物学の、元京大教授、現在京都産業大学の教授です。新しいタンパク質をいくつも発見しています。単純な発見でなく、熱ショックタンパクというグループに属する一連のものです。なお、永田氏は「京大理学部物理学科」の卒業。湯川秀樹氏の現役教授のときの最後の方の学年だったそうです。科学系の末端にいる自分としては、この経歴を聞いただけで、クラクラめまいがしてきます。

しかし、彼は物理学科を卒業した後は、生命科学をめざすことになった。でもそれは、氏の年齢を考えれば(たしか1948年の生まれ)、分子生物学の黎明期からの生命科学者ということなんですね。

短歌に無縁の私が永田氏の名前と顔を遅ればせながら知ったのは、多分数年前で、朝日歌壇の選者として、そして、妻河野裕子氏(こちらも、戦後最高の女流歌人といわれた方!)、がなくなる前後のことを書いたエッセイ、「歌に私は泣くだろう」の本の宣伝を通じてだったと思います。

私がずっと前に買った、「分子生物学・免疫学 キーワード辞典」、
1994その筆頭編集者の名前が永田和宏なのですが、4,5年前にその名をふと見たとき、不覚にも歌人の永田氏とは、結びつきませんでした。
その後、同一人であることを知った時の、私の驚きは!

2. いい芸術、いい評論に、「感傷」は無縁どころか、正反対でしょうが、この「現代秀歌」の末尾、「第10章 病と死」、そして、「おわりに」にわたる37頁にわたる文章を読んだ人で、涙なしに済ませられる人は少ないでしょう。ここを読んでいるとき、私は、文章そのものが永田氏の肉声として、耳の中に入ってくることを感じました。(いい文章ってもともとそういうものですよね。)---なお、永田氏の肉声を我々は聴いています。日曜の朝のNHKの短歌・俳句の番組にも、ときどき出ていましたから。

3. 「現代秀歌」の中身では、短歌そのものや人間一般に関する、氏の評論・意見も感動的なものがいくつかある、と感じました。

-----短歌というものは、決して本棚に奉っておくものではなく、日常生活のいろいろな局面において思い出してやることでのみ、ほんとうに生きてくるものなのだという思いがあった。(中略)日常生活の端端に、ふと歌のフレーズが口を衝く、あるいは、歌のフレーズが頭の片隅を過ぎる。そんな思い出されかたにこそ、歌の本当の幸せはあるのだろうし、作者の喜びは、そんな場所でこそもっとも大きいのだと思う。----(はじめにの一部)

 -----知らないということは決して恥ずかしいことではない。しかし「知らない」ということに対しては慎み深くはありたい。-----245ページ)
  (以下、そのうち書き足します)
  (2015.Jan.)
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以下は、amazon.com.の投稿の転写です。

5つ星のうち 5.0 永田和宏氏の労作に感謝,2014/11/6

投稿者 hiroshi (鎌倉市) - レビューをすべて見る
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レビュー対象商品: 現代秀歌 (岩波新書) (新書)

永田和宏氏による待望の現代短歌ガイドである。前作「近代秀歌」からわずか1年9か月で本書を得たことを喜びたい。本書においても100首を選んで紹介しているが、その選択の基準は前作とは大きく異なっている。「近代秀歌」は、「日本人ならせめてこれくらいは知っておきたい」の基準で100首が選ばれたので、斎藤茂吉の11首を筆頭に1人で複数の歌が選ばれるケースが多かった。しかし、「現代秀歌」においては「恣意的な要素が入ってこざるを得ない」ことを承知で永田氏が100人の歌人とその代表歌を選び、「現代の百人一首」を完成させている。同じ歌人の他の歌や関連する歌も紹介しているので、本書に収録された歌の数は全部で300首ほどに達する。私にとっては初めて接する歌も多くあった。

1
章の「恋・愛」からはじまって2章「青春」、3章「新しい表現を求めて」とテーマごとに10の章に分けて歌を紹介している。取り上げられた歌の解説、批評に合わせて各歌人の簡潔なプロフィルが記されている。1首について12ページの紙面ながら歌人の生き様や彼等が歌に託した思いを人物像や情景が浮かぶように表現する永田氏の文章の巧みさは感嘆するばかりだった。たとえば、中城ふみ子の歌の解説は次の通りである。

もゆる限りはひとに與へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず  歌集「乳房喪失」

中城ふみ子は、中井秀夫に見出されたが、2度の乳がん手術を受けた後に歌集「乳房喪失」を残して死去した。わずか数か月の歌壇デビューであった、と永田氏はプロフィルを書く。続けて、「『もゆる限り』は、大胆な歌である。愛のよろこびに燃えるなら、自らの乳房もその燃えるかぎりを人に与えてきたと詠う。その燃える乳房に、いつの頃からか癌は巣食い始めたのであろうと詠うのである。愛と性、そして病と死、それらをすべて見つめ、肯定的に自らのなかに取り込もうとするかのような奔放さと大胆さが、歌壇に大きな衝撃となって走った。」と結ぶ。

多くの掲載歌から私が胸打たれた歌の一部を以下に挙げる。

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり  寺山修司
かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は眞實を生きたかりけり  高安国世
睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗ふなり   石川不二子
みどりごはふと生れ出ててあるときは置きどころなきゆゑ抱きゐたり  今野寿美
終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて  穗村 弘
ひきよせて寄り添うごとく刺ししかば声も立てなくくづれて伏す 宮 柊二
涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き廣西学生軍なりき   渡辺直己

もちろん、戦後最高の女流歌人であった亡き妻の河野裕子さんの歌も10首ほど紹介されている。「あとがき」の前に「おわりに」を設け、ここで河野裕子さんの最期の歌を紹介している。永田氏が詠った有名な歌も添えられて。

一日が過ぎれば一日減ってゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ
歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る

そして、河野裕子さんの辞世の歌を紹介する。

「死の前日、河野裕子の口を漏れた最後の歌は次の一首であった。この一首を私の手で書き写せたことを、誇りに思うのである」

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

本書を読み終わって心に残るのは永田和宏氏の大きな像である。氏の「日常の生活の中でこそ歌は詠まれなければならない」とのメッセージとともに、苦しい生活を余儀なくされる人々に心を寄せ、平和と民主主義を希求し、日常の中に美と歓びを見出そうとする、心優しいリベラルな歌人としての永田氏の姿である。いつの頃からか私は永田氏の歌集や朝日歌壇を読み始め、氏の視点や感覚、思考に親しみを感じるようになった。率直に、ナイーブに、それでいて怜悧に世情を見つめる歌人の眼差しに教えられることは多かったのだ。この労作が「近代秀歌」とあわせて、多くの人に読まれることを私は願う。