新型コロナウイルスの流行に思う

 
2020年3月下旬 秋田さきがけ新聞に投稿、掲載された。
(一部文章の変更あり。)
  

新型コロナ肺炎で、社会は混乱している。幸いに秋田県ではまだ発症者は少ないものの、油断は大敵、国内、国外の一日でも早い収束を願うばかりである。今回の騒動については、落ち着いたのち、各方面からいろんな反省点、改善点が出されると思うが、私はかねがね次のことを考えてきたので、書いておきたいと思う。

歴史的な観点からすれば、感染症の多くは、人類が原始的な狩猟・植物採取の生活から、農耕文明に移った後に発生したと解明されている(結核、麻疹その他)。それらは、人間同士の密な関係、および人間と動物(家畜)との身近な接触により、人類にとってありふれた病気になった。

その延長で考えれば、今回のような新型肺炎の急速な拡大は、各国の人口の都市集中化と深い関係にあるはずである(飛行機など交通機関の発達も他方の原因としてはある)。北海道は例外としても、武漢も東京(首都圏)も、とてつもない人口集中地域である。人間同士の距離が近ければ、感染症の大発生が起こりやすい。

人口の都市集中現象は、世界中の問題ではあるが、日本では感染症問題以外においても、大地震による首都機能の喪失の可能性も含めて、決定的に重要な課題であり、なぜこの問題が日常の国政課題に上がらないのか、私はずっと不思議に思っている。

人工知能の進歩により、仕事の多くは大都市でなくても可能なはずであり、各会社、各行政の地方分散を政治的に推進するべきである。

それにより現在の疲弊した全国の地方は回復に向かい、森や川、海などの自然に触れ合う機会が増えた若者たちは、受験勉強のような競争とは異なる、本来的な知力を向上させ、新しい日本を築く礎になるだろう。

新型肺炎終息後は、このような視点から国民的議論がおこることを期待する。