日野原重明氏の業績の光と影



今年日野原さんは105歳の天寿を全うされました。氏の業績の光の面については、広く報道で知らされているところです。

聖路加国際病院を一流の病院に育て上げたこと、それに付随するところの看護教育、看護大学での成果、個人としての医師の仕事とレベルの高さ、W.オスラー博士の業績と人柄についての日本への紹介、数々の著書による、病や死についての啓蒙、そして晩年には自らを舞台にさらしての老人力の謳歌、などなど----- 一つの人生でこんなに豊かな果実をもたらす人間はそういるものではないと思います。

とはいえ、あまり輝きが強ければ、陰も濃くなるのがこの世の定め、報道ではお目にかからない、その陰の23を、ひねくれものの私が挙げておきましょう。

1. 生活習慣病

「生活習慣病」というのは、日野原先生がつけた名前とのことです。それまで行き渡っていた「成人病」という言葉は廃止され、厚生省はそちらを使うようになりました。

しかし----日野原先生はその言葉の陰(かげ)までは考えなかったはずですが、「生活習慣病」という言葉は、運の悪い人(体質がその病気になりやすい人)を、「あなたは生活習慣が悪い」と、責めている感じを私はもちます。

私のみている患者さんで、高血圧は45百人、糖尿病は約100人余りいますが、その中で、特に生活習慣が悪くて病気になっている人は、半分以下です。多くの方々は、現代日本人として食や運動について平均的な生活をしているようにみえる。「生活習慣病」といえば、いかにもその人の生活が不健康だからなってしまったように聞こえるが、大半はそうではないのです。

その人個人の問題というよりは、現代人一般の生活が不健康なのです。このことを我々医療者は、よく自覚しておくべきだ。また、健康診断などにかかわる、行政や福祉の方々もしっかり知っておくべきだと思います。

2. 人間ドック

 この言葉も日野原先生の発案ときいています。船の故障をくまなく点検するように、人間も年に1度か、何年かに1度、ドックに入って体の隅々まで検査すれば長生きにつながるであろう。
しかし、人間ドックには、以下に記すように二つの小さくない問題があると、私は考えています。

一つは、人間ドックは人体の中のすべての病気をチェックする能力はないこと。一般的なドックではみつからない病気が少なからずあります。すい臓がん、卵巣がんなどの悪性腫瘍、各種内分泌疾患(甲状腺や副腎などの病気)、精神面の病気(うつ病や、不安障害など)、ちょっと考えただけでも、このような病気が浮かびます。船のドックは故障をすべて発見できるでしょうが、人間ドックはそうではありません。いろんな人の話を聞いていれば、このような欠点を知らない人も少なくない。

「看板に偽りあり」と私が言っても嘘にはあたらないでしょう。

もう一点。人間ドックの普及は、「かかりつけ医」制度の成熟を妨げた。病気の早期発見のためにいろいろな検査をしたいのであれば、かかりつけ医に相談して検査項目を決めた方が、能率的であるし、かつ経済的でしょう。しかし日本ではそうならなかった。一内科開業医として残念です。
他の先進国には「人間ドック」というのはないはずです。検診的なものを受けたい人は、その人の体質、症状、年齢に応じて、本人をよく知っている主治医が、テーラーメイド的に、検査項目を選択するでしょう。

日本ではかかりつけ医制度が一般的でないので、「人間ドック」が普及したのだと思います。それから、医療機械で重装備した病院の機械活用の意味もあったかと思います。

日野原先生が予防医学の増進のために人間ドックという制度・言葉を発案したのは悪くはなかった。しかしその裏にある、人間ドックの不完全性と「かかりつけ医」制度の立ち遅れは、まさに光と陰の現象の上での「大いなる陰」と言えるでしょう。

3. 看護教育・看護大学について

日野原先生は若い時から看護師の重要性を指摘し、昔は医師の助手的な意味合いが強かったナースの立場を、医師とはまた別の職業的に独立した専門職として確立させようと努力し、聖路加国際病院には数十年前から看護大学が設置されて、非常に多数の人材を育成してきました(ここ十数年に雨後の筍(たけのこ)のように全国に作られた看護大学、その主要な幹部・教授には聖路加看護大学出身者が多くいるはずです)。

そうしてナースの社会的ステイタスは高くなった。とても良いことです。
しかし、ひねくれものの私には、ここにも輝かしい光の裏に、暗い陰(かげ)がみえる。

ここ10年から20年の間にいろんな人から聞いたこと、自分の目で見、肌で感じたことで言えば、病院のナースには昔と比べて何か進歩が見えるのか?? 私にはその進歩は明確には見えません。
なお、以下に記すことはナース自身が悪いのではない、と前置きしておきます。諸々の医学の進歩で業務が増えたこと、その他が関係しているのではありましょうが----

今の病院のナースは、昔と比べて患者さんのそばにいる時間が少ないはずだ。さらには、高級知識を持って、患者の相談相手になるのもいいが、30年前は、普通の世間話的に、患者とナースの交流があって、その気楽な感じがよかったような気がします。聖路加看護大学出身者のように看護学のむずかしい知識や、英語の用語などで頭がいっぱいになっている方々には、患者との気楽な交流は無理な気がする(特に若ければそうです)。

日本の看護学は、アメリカの看護学の成果を大いにとり入れたはずですが、私からみれば足が地についてない。老人が入院したら、「転倒予防アセスメント」(これもアメリカの受け売りだろう)の表を使って、いろんな計画を立てているようですが、結局は人手不足もあり、転倒を恐れるあまり、寝たきりになってしまう事例が少なくないような気がします。

アメリカの病院には、ナースはじめいろんな職種のプロが数多くいて、スタッフの数はと日本に比べ23倍多い、と聞いています。そういうアメリカだったら、高級ナースは「計画」やら「評価」やら「アウトカム」やら、頭のてっぺんを使う仕事ばかりしていればよいだろう。しかし、日本では無理です。(だいたい、英語のカタカナ語が氾濫する日本の看護学が、私には気分悪い。)

そういう問題点を引きずりながら、あたかも最先端の看護をしている気分の、看護大学の幹部がいやだ。その幹部の多くを育てたのが聖路加看護大学であり、おそらくはかかる問題点を指摘してこなかったろう日野原先生の責任もあるのではないかと考えています。

日野原先生ごめんなさい。批判をしても氏の人柄と業績を私はずっと尊敬しています。
天国でお幸せに(天国とはキリスト教の概念です。日野原先生は熱心なクリスチャンでした)。