なぜ日本では原発が廃絶されないのか 
          (2012年の記)


 日本における原発の危険性が決定的に明確になった現在、おそらく国民の8割以上が即時停止か、段階的廃絶を求めているはずである。(新聞の「読売」、「産経」、「日経」の社論は原発存続だそうだが、その理由を私は知らないし、また知る気もない。どうせ、概念的な「国家」や「産業」だけが大切で、日本の人々の具体的な平和と幸福には無頓着、想像力を欠く組織なのだろうと私は推測している。)

一方、民主党政権はこの期に及んでも、原発の輸出を続けることを明言し、また原発担当相の細野氏は、「安全保障のために原発は日本に必要である」、と発言した。自国で破滅的災害をもたらした原発を、何事もなかったように外国に売る、いったい彼らはどういう思考回路をもっているのだろうか。「以前からの契約だから」? 「日本は高度工業国家で、原発産業はその中で重要な位置を占めているから」? 「相手国が売ることを要求しているから」?------

それはともあれ細野大臣の上記の発言、これを我々はしっかりと理解する必要がある。大きな負の側面を宿命としてもつ原発を、地震大国の日本で圧倒的な国家的政策としてこれまで推進し、かつ破局の後も存続させる理由は、彼のその言葉が率直に表しているからである。「安全のために廃絶する」、なら容易に理解できるが、彼は反対のことを言っている-----。 

そう、彼ら(政権を担ってきた歴代の自民党そして、民主党の中枢)は、「核兵器の代わりとして原発を必要とする」、と考えているのだ。具体的に彼らがこの件について言明することは稀であったが、そうなのだ。いつでも核兵器を作れる技術と原料を保持し、それを諸外国に示して、ひいては抑止力、防衛力の糧にする。

しかし、そんなことを、国民の大多数は知らされてこなかったし、その理由で原発が今後も必要だとする考え方は、国民の間では全然議論されてはいない。みんながそういう事情を知り、もし国民投票でも行われるとすれば、きっと反対の方が多いのではないか。

戦後は民主主義国家となったはずなのに、それは名ばかりのこの国。国策の重要な決定は、いつでも国民から遠く離れたところでなされている。

それはどこで?

これへの解答こそが日本の種々の病気の解決につながるだろう、そう私は考えている。
 ただし、そういう政策決定の場面の全体像の真実を私は知らない。しかし、推測は可能である。

うまくは言えないが、戦前からの亡霊、敗戦の怨霊がとりついているエリート連中が、霞が関や永田町や大企業の中に多くいて、国民の総意とは大きくかけ離れている状況に日本を陥らせている。彼らの多くは知能は優れているかもしれない。しかし、たとえ戦後生まれであっても、(親や祖父の影響で)敗戦のトラウマが強く残されていて、100年前の「大国の一員」への幻想にとり憑かれているのである。論理や理性ではない、心理的要因によって、日本を「核保有国の一員」として存続させようとしているのである。

もちろん、エネルギー小国のこの国で50年前に、「夢のエネルギー」として原発に取り組んだ動機はあっただろうし、今も「善意」によって、原発を存続させようと考えている人々もいることは認める。
 しかし、原発を推進してきた手法、汚いやり方、愚かしい安全対策、想像力を欠く彼らの生き方はけっして許されるものではないと思う。

核への固執が、原子力発電(英語では核発電である)の存続の隠れた大きな理由であることを、私たちはよく覚えておくべきだと思う。

                         2012Jan.