近況(2021.3月) -----灰色の日々                                   
仕事プラス---へぼ碁、ときどき読書、そして運動(体操と速歩)

 去年2月からの国内の新型コロナのなかで、社会の問題が大きすぎまた深刻でもあって、自分の好きな世情批評については能力が及ばず、また情緒的なことも書く気になれず、ホームページも更新が滞りになりがちでした。

また、5月24日から腰椎の椎間板ヘルニアに罹患し、みじめな生活を最近まで送っていました(この病気、私は50代半ばにかかっていて自然治癒を経験しているので同様に日々を耐えたところ、やはり幸いにも、現在は98%回復しました。)

では、私はこの9か月間、何をしてきたのか、ざっと振り返ってみます。

<椎間板ヘルニア>

仕事は休まず行いました。678月あたりが非常につらく、右下肢全体が痛くて休まないで歩くのは1020mがやっとでした。たしか9月あたりまでは杖をついて歩いていました。すでに69歳なので回復するのか大いに疑問でした。しかし、自分の性格としては珍しく前向きに闘病しました。(私は基本的に悲観的な方に傾きやすい人間です。好きな先輩に、「山本の考えは暗すぎる」、と批判されたこともあります。) 
しかし、ここで負けてはいけない、と思い、痛みがまだ強い夏からすでに、家・医院の周りを懸命に歩きました。一周
200mぐらい、これをやっとのことで毎日2周歩きました。30mぐらいに一度立ち止まらなければ続けられません。(9月に初めて行った病院のMRIでは脊柱管狭窄症もあるので、こういう症状---間歇性跛行---になる。)

12月後半からかなり楽になり、今は1日に2000歩を目標に歩いています。なお、医者である自分は、何か体に不調をかかえている状態であるのが適切だろうと、客観的には考えています。まったく健康であるよりは、少し不調の方が病気の人の気持ちがわかるのかもしれない、と思って。もちろん決定的な病気はしたくはないわけですが。

<囲碁>

仕事はふつう17時に終わります。今は夜は医学の勉強はしません。患者さんがそんな多くないので仕事の合間に学習できるということもあります。夕方はパソコンで囲碁の対戦をします。別のことをやった方が人生が豊かになるのかもしれませんが、私は囲碁をやらずにはいられないんです(そういう私の姿を見て、妻は依存症といいます。休日も何時間も碁をしているので。)。

近年は上達もしないし、囲碁の勉強もしない、田舎のへぼ碁です(パンダネットで以前は初段でしたが、今は1級、日本棋院のランクでいえば3段ぐらいか。)
なぜ毎日やるのかともし問われたら、私は次のように答えるでしょう。人間相手の外来診療は、私にはやや疲れる。下手でもいいから、つかの間の、自分の思うとおりの作戦を実行して相手を倒したい(事実は倒されることが多いわけですが)。人間相手の時間から離れて、論理だけの時間に浸りたい。まあ、そんな感じです。

<睡眠と読書>

囲碁が終われば夕食、そして睡眠です。エッ! 早すぎるのではないか! ですって? そう、早いです。私は20時か21時には寝ます。TVは見ません。本も寝る前は読みません。だって、持病の睡眠時無呼吸症候群で毎夜のCPAPを装着すると、23分で深い睡眠にはいるのですから。そして45時間は熟睡します。夜中に覚醒しますが、ここで3060分ぐらい本か雑誌を読みます。この数か月に読んだ主な本は後で書くとして、雑誌も読みます。選択、週刊文春、世界(もう少し読みやすくしてくれたら----)、TIME3分の1ぐらいしか読まない。時間がかかる)、などです。友人の少ない自分には、これぐらいの雑誌は必要と思っています。

<東京のM君>

小学からの同級生、中学時代の野球部同僚、運動で競り合ったライバル、この十年間は年に45回酒を飲んで、カラオケも歌いあった飲み仲間、東京で数十人のコンピューター専門者を使い指導してきた社長、数十回も外国を旅行し、特にアジアの各国、各地域についてはとても詳しい男。尊敬している親友、それがM君です。

しかし去年の秋、コロナ禍の東京で、彼の体の中に病気が見つかり、手術を受けました。幸いその後も今も順調で安心しています。ところで、その病気のことを聞いて、私も体に自信がなくなり、食欲不振に陥りました。11月に体重を測ったら72㎏しかない。もともとは7779㎏だったのに! 俺も何かいやな病気になっているのかと、不安になり自分で各種血液検査をしたり、湯沢市にある胃腸科の医院の門をくぐり、上部消化管その他の検査を受けました。幸い、異常は見つかりませんでした。重大な病気がないとわかり、ちょうどその頃、M君も順調に回復していると連絡があった。そしたら何と食事も普通にとれるようになったのです。きっと、軽めのうつ状態だったんでしょうね。

患者さんの中には、目の前の医者も病気を持っていることがわかると、驚いた顔をする人がいますが(あるいはケケケと笑う人もいますが)、医者も自分が病気をすれば、しろうとさんと同じです。

コロナのおかげでM君とは1年半ぐらい会っていません。残念です。でも今年の秋頃は再開できるかもしれない。彼や元野球部の仲間たちと、青空の下でゴルフをできる日を本当に心待ちにしています。カラオケにも行ってないなあ。俺は歌が下手だけどカラオケで歌い合うのが好きです。歌うのが好きな歌は------、「熱き心に」、「少年時代」、「TSUNAMI」、「all my loving」、「大阪で生まれた女」、「The long and winding road」あたりでしょうか。

<ここ数か月の読書>

さて、コロナの世の中と、わが身のヘルニアの毎日の中で、私の楽しみは、仕事と囲碁の他には、やはり読書ぐらいでありました。印象に残った本をとりあえず列挙しておきます。

シャーロックホームズ

6月から8月までの最も苦しい時は、仕事以外は横になって、気楽な本を読んでいるしかありませんでした。小学の時に親しんだこともありましたが(この時は図書館の少年少女用の本だった)、今回もシャーロックホームズをひととおり読んでいました。

(なお、「パスカヴィル家の犬」は、なぜか3年前に読んでいる。)
小学高学年時は、父の心身不良による経済的困難で、69歳時は椎間板ヘルニアで、つらい毎日を過ごした。その灰色の季節に、ホームズは癒しを与えてくれた。

 對馬達雄氏の本

・ヒトラーに抵抗した人々 2015 中公新書

・ヒトラーの脱走兵    2020 中公新書

この2冊は、秋田市の親友H君のお勧めです。對馬氏は秋田大学の副学長だった人、専門はドイツ文学だったと思います。ヒトラーの名前の付いた本は世界中に星の数ほどあろうかと思いますが、この2冊はとてもいい本で感動しました。

ドイツは戦後の清算を国の名誉をかけて行い、現在は近隣諸国と友好的な関係になっています。しかし国内では、1980年代まで「清算」は行われていなかった。それはこの本を読めばわかります。戦争に負けて別の政治体制になったとはいえ、政治家、官僚、司法家、大企業の幹部、地域のボスたち、つまり社会の指導者層は戦前・戦時と同じ人間が取り仕切る。(革命ではないからそうなります。)日本も全く同じです。いや、ドイツよりもさらに戦前・戦時の指導者が戦後も続いた、今もその孫などが首相になったりして、同じような体制が続いているのが日本です。

對馬氏は日本については言及していません。ドイツで戦時に「抵抗した人々」、や「脱走兵」が50年近くかけて、社会的な名誉を回復した過程を、淡々としかし感動的に描いています。

斎藤茂吉

9月頃、20代に読んだ北杜夫作「楡家のひとびと」が本棚に目に留まり、また読んでしまいました。自分が年をとった今読んでも大変面白かった。この小説は、大枠の場所や人間が事実に即して(青山脳病院や斎藤茂吉周辺の人間)、細部はフィクションになっています。父斎藤茂吉がモデルの主人公は、同じ精神科医ではあっても歌人ではありません。この小説を読んでから、かねがね少なからずの興味をもっていた斎藤茂吉の歌と人生をもっと知りたくなりました。

北杜夫が自身の晩年のエネルギーを費やして仕上げた4部作、これは小説に劣らず、すばらしい作品でした。

・『青年茂吉 「赤光」、「あらたま」時代』

・『壮年茂吉 「つゆじも」~「ともしび」時代』

・『茂吉彷徨 「たかはら」~「小園」時代』

・『茂吉晩年 「白き山」、「つきかげ」時代』

これらには息子の斎藤宗吉(北杜夫)にしかわからない私的生活の中の茂吉の姿があり、とても興味深いものでした。とはいえ、宗吉に対する父茂吉の様子は、世のありふれた父親と何ら変わるところはない、と私には受けとられました。

 茂吉は高校の国語教科書の写真でみるとおりの、ひげもじゃらの老人のイメージが強いわけですが、彼にももちろん若々しい青年期、男盛りの中年期があった。最も有名な歌集「赤光」は彼20代のみずみずしい感性を表現した名作です。

中年期50歳代には20歳以上年の若い女性(永井ふさ子さん)と、恋に落ちています。なお、茂吉は青山脳病院の娘、輝子といい名づけを経て、幼な妻として結婚したわけですが、二人は育ちの違い(東京育ちと山形の田舎育ち)や気性の違いもあり、結婚から十数年後、輝子の不祥事もあり、20年余り別居生活をしていた。息子の宗吉氏は父親と生活していたわけですが、両親の不仲については本の中で何ら不満を述べていません。公に出される本ですから不満を述べないのは当然なのでしょうが、父茂吉の婚外恋愛についてもありのままを冷静に書いていています。

読後、印象に残るのは父茂吉への敬意です。優れた芸術家であることの敬意とともに、素朴で怒りっぽさもあった、しかも食や(性にも?)貪欲だった自然な人間たる父への素直な敬意、そういうふうに私は受け取りました。

その後、茂吉の歌をもっと詳しく知りたくて、いくつかの本を読みましたが、塚本邦雄氏の4部作が内容も濃く、読む楽しみが豊かでした。塚本氏は反「アララギ」的歌人、反「写生」的歌人で、茂吉とは正反対にある方なのでしょうが、これらの本の中では、茂吉への厳しい批評も当然含まれるのではあるが、全体としては茂吉短歌への深い愛情が感じられました(嫌いならこんな労作を完成するわけがありませんね)。

・『「赤光」百首』

・『「あらたま」百首』

・『茂吉秀歌 「つゆじも」~「石泉」百首』

・『茂吉秀歌 「霜」、「小園」、「白き山」、「つきかげ」 百首』

同じ東北人だからなのか、かねがね茂吉には親しみを感じてきました。田舎育ちで、食、性を表現するにあたっても、素朴、貪欲であるところが好きです。私も同種の人間だからかもしれません。そういう茂吉だからこそ、東京育ちの輝子には嫌われたのかもしれませんね。

 「暴君 シェイクスピアの政治学」 S. グリーンブラット著、河合祥一朗訳、2018、岩波新書

著者はアメリカの著名なシェイクスピア学者だそうです。「リチャード三世」、「マクベス」、「ジュリアスシーザー」などを借りて、暴君のかずかずの生態を解説しています。

本にはトランプの名前はたぶん一度も出てこないと思いますが、2017年にトランプが大統領にならなかったら、おそらくこの本は書かれなかったはずです。

 「ファシズム」 M.オルブライト、白川・高取訳 2020
  みすず書房

ご存じのとおり氏は合衆国の国務長官の任務をはたしたお方。アメリカでは著名な人は大役を果たして一息ついたあと、自伝を書くのが一般的ですね。この本もそういう種類に入っているのでしょうが、しかし上の本と同様、トランプが大統領にならなければ、内容はかなり違ったものになったのではないかと推測します。

はじめにムッソリーニ、ヒトラーの話が出てきますが、その後のファシストたちには、国務長官だったこともあり、氏はほとんどの人と実際に対面しているようです。ミロシェビッチ(ボスニア)、チャベス(ベネズエラ)、エルドアン(トルコ)、プーチン、オルバーニ(ハンガリー)、金正日、などです。そして終盤に、トランプ大統領への評価が書かれています。もちろん厳しい批判です。

 以下の本の解説は後日書く予定

 

「金閣を焼かなければならない 林養賢と三島由紀夫」 内海健 2020 

内海氏は東大出身の精神医学者。金閣寺に火を放った林養賢について、放火時にはすでに統合失調症の初期に罹患していたという説を学問的にかつ俗人の理解できる形で示した。後半では三島の病的側面についても解説している。

 「日露戦争史」 123 半藤一利

半藤氏は残念ながら今年1月に他界しました。

 「オーウェル評論集」

 ・「夢遊病者たち 第一次世界大戦はいかに始まったか」 C.クラーク 小野訳 2017

「民主主義の壊れ方」 D.ランシマン、若林訳 2020

「量子力学の奥深くに隠されているもの 多世界理論」への誘い」 2020 S.キャロル 塩原訳

   物理学の不得意な私に理解できるはずはないが、この理論にはかねがね興味があって------

「明治日本の面影」 小泉八雲

「クララとお日さま」 カズオ・イシグロ 土屋訳
 ノーベル桂冠小説家の最新作
 まずは1回読みました。所々理解できないところもあったの、そのうちまた読む予定。
人間以上に賢く、人間以上にやさしい少女AI、クララ(ロボット)と、病弱な中学生ジョジーとのあやうい日々の物語。終盤で廃品置き場に捨てられているクララがせつない。