こんな映画を見ていたなあ
            令和5年1月
1. はじめに

若いときには映画をよく見ていたような気がしますが、中年以降はあまり見ていない。だって、映画館に行くには、100km先の秋田市か40km先の大曲まで行かないといけないんだもの。せめて湯沢か横手に1軒か2軒あればいいのになあ。

それでもDVDはたまに買って見てはいた。衛星放送では毎日面白い映画をやっているんだろうが、自室にあるTVは衛星放送は映らないし、映れるようにする気もない。
 そんなこともあり、去年の夏に、キネマ旬報ベストテン・90回史」という本を買って、数日楽しんでいました。(なお、紙の本は去年は10冊も買っていない。理由は二つあって、持病の椎間板ヘルニアのため、本屋で単行本なら一冊以上は買えない。持つだけで右足のしびれが強くなる。さらに家の中が本だらけになっていて、これ以上は本を買わないよう指示されていること。だからこの本も電子書籍・kindleで読んだ。)

心に残る映画、感動した映画は、若い時に見たのが圧倒的に多い。世の中や人間をよく知らなかったから、純だったのだろう。それは音楽も同じ(歌謡曲もクラシックも何でも10代20代に聴いたのがいい。舟木一夫、加山雄三、ビートルズ、ベートーヴェンなどなど)

閑話休題。キネマ旬報年間ベストテンは、多く観客が入った映画とはちょっと違う。観客が多く入るのは、話題性のある映画、宣伝がうまくいった映画だ。しかしキネ旬のほうは、深く心に残る映画が選ばれている(言葉を変えれば、芸術性のある映画)。とはいえいずれにしても、面白くなくては話にならない。映画も小説も音楽も後世に残るのは、芸術性に優れるとともに、みな楽しさが図抜けている。黒澤もチャップリンも、漱石もイシグロも、モーツアルトもバッハもマーラーもみなそうだ。

今となっては映画は数えきれないほど作られた。自分はその中のごくごく一部を見たに過ぎない。だから以下にあげる映画も単に私的に感動したものに過ぎない。年齢やその頃の境遇なんかが感動するかしないかに関係あるだろう。年間ベストテンに載っていない映画、たとえば小6年でみた「伊豆の踊り子(吉永小百合・高橋英樹主演)」や、中2の時、野球部で横手に遠征に行ったが急に大雨で中止になり、今は亡き大友君たちと横手の映画館で見た「潮騒(吉永・浜田主演)」、あるいは小6あたりで見た「忠臣蔵(知恵蔵や橋蔵など東映オールスターのやつ)」、それから中学生で見ていた植木等の「無責任男」シリーズなんかも、キネ旬にとってはくだらない消耗品なのかもしれないが、自分にとっては思い出に残る映画なのです。

2. 巨匠や名監督たち

さて、複数の作品が自分にとって心に残っている名監督のものから思い出そう。(カッコ内は制作年もしくは封切年、TVはテレビでしか見てないもの、DVDはDVDかそれに類するものでしか見てないもの、その他は映画館で見たものだ。)

古典的なものからいけば、まずはC.チャップリン。中高の頃はTVでもよくやっていて、「黄金狂時代(1926)」その他、初期のギャグ満載のを面白く見ていた。その後1970年代にチャップリン映画の復活期があり、名画座的な所でよく見た。「街の灯(1934)」、「モダンタイムス(1938)」、「独裁者(1940、日本での公開は1960)」、「ライムライト(1951)」などが強く記憶に残っている。めちゃくちゃ笑わせるとともに、弱い者、不運な人間へのやさしさと共感、そして「独裁者」や「モダンタイムス」にみられるような不正な現代社会に対する怒りの表現(笑わせながらです)。すべてがすばらしい。チャップリンは私の人生観におおいに影響を与えてくれた、と思う。なお、上記のように、「独裁者」は制作年と、日本での公開に20年ものタイムラグがある。日本で、もっと早く公開されてもよかったはずだが、私の推測では、アメリカでは1950年代にマッカーシー旋風が吹き荒れていてチャップリンなどハリウッドの有力者の多くが、ばかげた批判にさらされていた。その国の植民地みたいな日本でも、映画の公開がはばかれたのだろう。

次は黒澤明。半分ぐらいっしか見てないと思うが、「羅生門(1950)」、「生きる(1952)」、「七人の侍(1954)」、「天国と地獄(1963)」、「赤ひげ(1965)」、「夢(1990)」、などのはおおいに感動した。何しろ面白いし、映像美がいい。映像に関しては「羅生門」と「夢」が特に優れていると思う。「赤ひげ」は中2で見たはずだが加山雄三の青年医師のさわやかさが格好いい。加山雄三ブームは俺が中3なってからのはずなので、その直前の加山雄三なんだと思う。身内に医者のいない自分が高2でなぜ医者を目指したかといえば、その映画はおおいに関係あるに違いない。黒澤映画の欠点をあえて言えば、三船の言葉がよく聞き取れないこと。海外の人が黒澤映画をみた場合、口から出た言葉は理解できないので、字幕スーパーで理解する。三船の発声の欠点は関係ないのですから、言葉の内容は、字幕スーパーで読んだ、外国人の方がよく理解していたと思われる。
なお、「デルウスウザーラ」、「どですかでん」なども見てはいるが、感動はしなかった。

次はD.リーン。見た順にあげれば、「ドクトルジバゴ(1966)」、「アラビアのロレンス(1962)」、「ライアンの娘(1971」、[インドへの道(1985)」、「旅情(1954、原題はSummer Time,TV)」、「逢びき(1948、原題はBrief Encounter、DVD)」.
彼の映画は、初期は恋愛系が多いが、それ以後は歴史に翻弄される人間の切ないドラマが多い。ロシア革命、第一次世界大戦と中東問題、北アイルランド騒乱、植民地のインドなどだ。内容が雄大だし、映像がいい、そして音楽もいい。なお、Summer TimeとBrief Encounterは歴史問題とは無関係の中年男女のドラマだが、こちらもウイットに富んですばらしい。ただ、「戦場にかける橋」はなぜか見ていない。いつか見るとは思うが-----。

次はL.ヴィスコンティ。見た順に、「ベニスに死す(1971)」、「地獄におちた勇者ども(1970、原題はThe Damned)」、「家族の肖像(1988)」、「イノセント(1989)」、「夏の嵐(1950)DVD」。ミラノの最高の名家ヴィスコンティ家の末裔にして、コミュニスト(若い時」)にして、バイセクシャルにして-----、私には想像もつかない華麗なヨーロッパ文化の中で育ったが、その人生は二つの大戦争をはじめとした、ヨーロッパ没落の時代だった。爛熟文化は、文明の衰退期にやってくるだろう、豊熟な果実が樹木から落ちるように。人間も文明も必ず死や衰退からまぬがれることができない。その真実を描ききったヴィスコンティは芸術家としては幸せだったと私は思う。
「ベニスに死す」ではマーラーの第5番のアダージェットが随所に使われている。22歳で映画を見た私は、マーラーは名前しか知らなかったが、その音楽に魅入らされ、その後のマーラーフアンになるきっかけとなった。

次は山田洋二
氏はまだご存命だし、巨匠と呼ぶには少し違和感があるかもしれないが、寅さんシリーズ48本は時代を超えた名作になるだろう。私は前半のはほぼ全部見ていたが、後半のは少ししか見ていない。第一作は1969年で高3年でみたはず。その後大学に入ってからはしばらくパチンコとマージャンの毎日で、暗い気分で生きていた。数少ない救いのひとつが寅さんの映画で、正月と盆の時期は必ず映画館に行ったものだ。面白いし、内容もある。なお、若くして見たときはただ笑ってばかりだったが、その後50代60代にTVでやっている寅さんを家で一人で見ていて、不覚にも涙を流したのは、二度三度を下らなかった。
それから山田監督といえばやはり、「幸福の黄色いハンカチ(1977)」だろう。映画館で見たときは泣いてしまったが、その後TVで2度か3度見た時も、涙を禁じえなかった。ラストがどうなるかわかっていてもそうなるんです。
 なお、健さんといえば山田監督の映画ではないが、「駅・ステイション(1991)」もいい。何といっても、大みそかの夜の場面。健さんが小さな飲み屋で独酌している。外は冷たい粉雪が舞う北国の駅前の店。片隅にある小さいテレビでは、紅白歌合戦で八代亜紀が「舟唄」を歌っている。人々は家族みんなで団らんしているだろう時間。いろんな過去の思いをもつ男の孤独感が胸を打ちます。誰もが認める名シーンです。

次はS.キューブリック。「時計じかけのオレンジ(1972)」、「2001年宇宙の旅(1968)DVD」、「シャイニング(1980)DVD]、見たのはこの3つしかないが、印象に残る映画だ。感動するみたいな作品ではないが、各々が才気にあふれている。「時計じかけのオレンジ」は封切まもなく22歳で見たが、その時は近未来の不吉な予言と受けとった。ただし67歳でDVDで見直したときは、さしてすごいとは思わなかった。少年犯罪と人工的で強制的な大脳の作り変えを描いているが精神医学、とりわけ薬物療法が進んで、映画のテーマがあたりまえになっているみたいになっているからなのか。「シャイニング」は何しろ怖い。「2001年宇宙の旅」は何度見ても内容をよく理解できないが、何しろ映像美にあふれている。「アイズワイドシャット」は家のどこかにDVDがあ るはずだが、ちゃんと見ていない。

3.数々のヨーロッパ映画
 高校から20代にかけては、ヨーロッパ映画が好きでした。
 「禁じられた遊び(1952)」、「鉄道員(1956)」、「自転車泥棒(1949)」、これらは世界大戦の傷がまだ冷めやらないイタリアやフランスで作られたものですが、深く心に残っています。
 「天井桟敷の人々(1944,日本公開は1951)」もすばらしい。ただしTVでしか見ていません。これはフランスがドイツに占領されていた時代に作られたのですが(つまりヴィシー政権の下で)、そのような不安定な時期にフランスならではの人間模様を芸術性高く作る底力に感嘆します。脚本がJ.プレヴェールで会話も素敵。
 「太陽がいっぱい(1960)」は「禁じられた遊び」と同じ監督で意外(ルネ・クレマン)。「道(1956)、TVとDVD」もいい。「道」は男の野蛮性を存分に描いていますが、その野蛮性は自分の中にもあると認識してます。そしてジュリエッタ・マシーナ演ずるジェルソミーナのあまりにも純真な女性像。女がすべて純真と思うほど私もウブではありませんが、フェリーニはこ映画で、男と女の元型を表現していると思います。男の自分勝手な感想でしょうか。

4. ハッピーエンドでないアメリカ映画
 「俺たちに明日はない(1968)」、「明日に向かって撃て(1970)」、「ディアハンター(1971)」、「プラトーン(1987)」、「ゴッドファーザー」、「普通の人々(1980)」、「ソフィーの選択(1983)」、





5.心に残る日本映画 
 3,4年前、昔の日本映画をDVDで何本か見ました(椎間板ヘルニアでスポーツをできなかった頃です。)
 「二十四の瞳(1954)」、「東京物語(1953)」、「浮雲(1955)」、「喜びも悲しみも幾歳月」などです。自国の映画はその心情の細部までわかるので、洋画とは少し違う楽しみがあります。それは小説も同じで、ドストエフスキーやフローベールも面白いが、川端康成などのものは、日本人ならではの心の襞の模様までわかる楽しみがあります(「みずうみ」とか)。上にあげた映画もそういう面で魅入られます。とはいえ、「東京物語」は世界中の映画人に評価が高いそうで、私が、自国の細やかな心情などとi言うのは、愚かな錯覚なのかもしれませんね。「東京物語」は名作と思うが、抜群の出来とは私には思えません。世界で小津安二郎が称賛されているのも私には理解外のことです。その世界のプロでないとわからない何かなのでしょう。




6. 楽しいアメリカ映画
 「サウンドオブミュージック(1964)」、「マイフェアレディ(1964)」、「ウエストサイドストーリー(1956)」、などのミュージカル。みな素晴らしい。後の2者はブロードウェイの舞台での成功の後に映画化されたわけですが、舞台など見ているわけがない田舎の中学生たる私には、何という別世界だったのでしょう。歌がいい。2年前にスピルバーグも「ウエストサイド」をリメイクしましたが、ジョージ・チャキリスのやつがやはりよかった。若い時にみたものの方が、何でも心に残るからでしょうか。
 「ローマの休日(1953)」もすばらしい。他愛のないお伽話といえばそのとおりなのですが、余韻もあり名作と思います。O.ヘプバーンももちろんいいが、G.ペックが魅力的。男の私でさえ恋してしまいます。2,3年前TVでこの映画をやった翌日、私よりやや年長の女の患者さんに、この映画の話題をしたら、「ペックちゃん!」とうるんだ目をしてつぶやきました。きっと若かりしときに、銀幕の向こうのペックちゃんに恋したんでしょうね。




7. その他の名作

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