『私の「戦後70年談話」』から、印象に残った言葉

この本は、戦前生まれの41人の著名な方々が、各々の戦時中の体験を語り、そして戦争と平和についての思いを綴った本です(2015、岩波書店、1600円)。

 私は多くの方々の文章に深く心を打たれました。そして、戦争を体験していない自分にとっても、共鳴した言葉が多く、ここにその一部を記しておきたいと思います。(戦時中の体験については文章が長くなりがちなので省略し、ここでは主に、戦争と平和についての思いを綴った所を抜き書きしておきます。下線、太字は私のつけたものです。)

「若者たちへ」 ジェームズ三木(脚本家)1935年生まれ

 (三木氏は、満州で敗戦をむかえた人)

 若者たちに遺言しておく。戦争を起こすのは国家ではない。国家になりすました「時の政府」である。権力を維持するために、国民に被害者意識を植えつけ、マインドコントロールして外敵をつくる。場合によっては国民にも銃口を向ける。

 もうひとつ、戦争の本当の意味は、大量に人を殺すことである。武器は人を殺す道具であり、軍事演習は人を殺す訓練である。(中略)

 日本の首相の靖国参拝が、中国の批判を受けたっときも、国のために戦死した英霊を参拝してどこが悪いと居直ったが、中国人にしてみれば、国土を荒らしまくり、父母や祖父母を殺した東洋鬼(トンヤンクイ)が、祀られているのだから、面白くないだろう。日本人の歴史認識が薄いといわれるのは、まさしくこのことで、ものごとを相対的に見ていない。若い世代にきちんと歴史を教えないまま、選挙権の年齢を下げるのは、どうも危なっかしい。

 (中略) 旧満州にいた200万の日本人は、着のみ着のまま追い出され、戦争難民として引き揚げた。頼みの祖国は米軍に占領され、爆撃で焼け野原になっていた。情けないことに私たちは、鬼畜米英とさげすんでいた米兵に、ギブミーチョコレートと、へらへら揉み手して飢えをしのいだ。私たちは権力者に、騙されていたのだ。
 はっきりいっておくが、核兵器を廃絶しない人類は、やがて滅亡する。国家間の戦争なんてやれるはずがないのに、軍事力を強化して何の意味がある。
 この国の存続を望むなら「永世中立」を宣言すること。人類の歴史をつなぎたければ、国境も国籍もなくし、世界を一つの憲法、ひとつの通貨で結ぶこと。若者よ、がんばってください。

 ・「満州でソ連軍の侵攻をうけて」 宝田明(俳優) 1934年生まれ

  (宝田氏も満州で敗戦をむかえた)

--------ましてや国民だって当時洗脳されて浮かれていたとはいえ、父や息子たちが戦争にとられて死んで帰ってくれば、お国のために死んでよかったなんて人はいない、みんな心の中では泣いていたわけです。(中略)戦争なんて一握りの政治家が決定すれば、開始できてしまう。国家の運命なんて一握りの人間の誤った判断で変えられてしまうのです。

 (中略) たかだか数人の内閣で集団的自衛権の行使容認を閣議決定したり、今や海外で戦争をする国へと変わりつつあり憲法改正の動きも進んでいる。戦争を知らない政治家たちが、こういう決断をしてよいのか、と思わずにはいられないですね。

 (中略) どんなに国が大きくなっても、戦争を好む国というのは、最終的には滅びます。人間が起こす大罪は戦争を起こすことです。

「戦争を知らない大人たちへ」 山田太一(脚本家、小説家) 1934年生まれ

 (山田氏は、東京浅草で育ち、空襲ののち、立ち退きを命じられ、伊豆に移り住んだ。そこで母がまもなく亡くなり、兄の二人も戦時中と戦後まもなく亡くなった。)

 ---------戦争は始まってしまうと、どうにもならない。否応なしに殺しても心が痛まない敵をつくり、こっちも殺されるから憎しみがこみ上げて、殺し殺されになってしまう。

 戦後70年、日本が戦争をしなかったのは実にすばらしいことだと思う。幾多の偶然や力学が加わったにしてもこわれやすい宝物を手にして来たようなものだと思う。荒っぽく扱ってはいけない。政治家はどんな手を使っても戦争は避けるべきで、その時はあれこれひどいこともいわれるかもしれないが、時がたてばきっとよき選択とされると思う。それでも避けられない戦争はきっとあるだろう。その日を総力をあげて先のばし先のばしする知恵のあるプライドの日本でありたいと思う。

.・ 「死の影の下に」 梅原猛(哲学者) 1925年生まれ

-------日本という国は平和な国であると私はつくづく思う。日本は平安時代の約350年間、江戸時代の約250年間、ほぼ戦争も内乱もない平和な時代を送った。このような歴史は大陸から完全に切り離された日本列島ゆえにあり得たが、そのような日本が他国に軍隊を派遣したことが三度ほどある。一度は白村江の戦い(7世紀)、もう一度は豊臣秀吉の朝鮮出兵、そして最後は明治以降の朝鮮及び中国への侵略である。日本の歴史を顧みると、他国から攻められた戦争においては、刀伊の入寇(11世紀)や元寇のように日本が勝利したが、他国に攻め入った戦争はすべて敗戦に終わった。
 日本はそのような平和の伝統を学ばなければならない。自衛隊というのは大変よい名称であると思う。攻めてきた他国に対しては死力を尽くして戦うが。決して他国に攻め入らない。それは日本の伝統に沿った軍隊であり、またカントが提唱した永遠平和の理念にも合致する。
 私は、日本国憲法は外から与えられたものではなく、日本のこのような伝統に沿ったものであると思う。現在の安倍政権の政策はそのような伝統の精神を脅かすものではないかと私は憂慮しているのである。

「口を閉ざしてはいけない」 奈良岡朋子(女優) 1929年生まれ
  (奈良岡氏は戦時中ずっと東京本郷に在住、当然ながら大空襲にも遭った。)
 ------- 大空襲の惨状を体験し、生と死のはざまを生き抜いて、疎開して緑の樹があり、桜が咲いていて、雑草があるのを見たとき、こんな草木も生きている、そして私も生きているのだと思い、生きていることをどれほど痛切に感じたか。
 人間は生まれてから死ぬまで生きるということを、天に任せればいい。われわれには生きる権利があるのです。なぜ人間が人間を力で淘汰するのか。民の生活を守ると口先で言っても、詭弁に過ぎません。全然信用できません。
 (中略) 戦争はやってはいけない。殺人行為です。いいことは一つもない。いいことがあるとしたら、その人たちの利益のためで、我々とは関係ない。命を懸けてまで人殺しをする必要はないのです。

「大阪〜東京を生きた在日二世として」 梁石日(やんそぎる) 
(作家) 1936年生まれ

 ----- 最近、在日や韓国、中国に対するヘイトスピーチが問題になっています。根拠のない、相手の立場を無視した攻撃は昔からありました。いちいち向き合っていてはきりがない。差別はずっと残っています。それでも、悪感情を煽るような言動が「表」に現れてくると、一般の人の間にこれまでにフタをされていた差別や恨み、嫉妬といった感情が吹き出てきます。
 こういう状況を見ていると日本の社会というのは、根本的なところであまり変わらないのかなと思わされるのです。日本人も世代交代していっているから変わってもいいと思うのですが、一見開けたように見えてきても、本当の「国際化」には対応できないところがあるんじゃないか。
 (中略)日本社会に一言言うならば、これ以上右傾化しないことだと思います。安部のような政権が長く続くと、周辺も市民も、知らぬ間にその考えが浸透するわけですから。それがどこかで噴出するのではないかと思うと恐ろしい。危機的な突発事でもあれば、暴発するのではないか。先頭に立って煽るような人間はいつでもいるのです。普段はそれが見えないけれども。
 それを防ぐためには、言葉のもつ抵抗力です。作家であれ政治家であれ、使う言葉に抵抗力がなくなっている。言葉はその時代の精神を如実に反映しているわけで、そこの抵抗力が無くなっているというのは、人にも社会にも抵抗力が落ちてきているということ。物書きの責任は大きいと思っています。


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