もうダムはいらない:秋田にも日本にも

目次

(1)日本にもうダムはいらない(反成瀬ダム 総論)

(2)成瀬ダムはいらない(反成瀬ダム 各論)

(1)日本にもうダムはいらない(反成瀬ダム 総論)

みなさんの中には、学校教育で、「ダムはすばらしいもの」と教えられて、今もそう信じている方も多いのではないでしょうか。しかし、いまや、世界的にもダムはもう造るのはやめようという考えが、主流なんです。

ダムの効用としては、洪水予防、利水(農業用の灌漑用水や水道水)、水力発電、などがいわれてきました。これらについても現在では、大きな疑問が投げかけられています。

では、なぜダム建設はもうやめようという考えが世界で主流になりつつあるのか、以下に簡単に、書きましょう。

(ア)環境

ダムは山や森の環境を破壊します。これは誰にもわかりますね。詳しい説明は不要でしょう。反ダム運動において最も根本的な理由です。多くの人が心を痛めています。

もちろん、魚など川の生き物も多くがダメになります。サケも遡上できませんし、もし人間の手で上流に運ばれ産卵したとしても、生まれた卵や稚魚はダムで停滞しますから、ほとんどが海にたどり着けず、死んでしまいます。

一度壊した自然は容易には戻りません。戻そうとしても数百年、いや千年以上かかるでしょう。こういうことを当事者は、一体何と考えているのでしょうか。

(イ)費用

何百億円もの血税を、いや何千億円もの血税をかけて国が事業を行うなら、当然、それに見合った効果や幸福を国民に与えるものでなければ、許されるものではありません。

たとえば、この成瀬ダムに関しては、これがなくても、今、いったい誰が本当に困っているのでしょうか。1600億円に匹敵するほど、今困っているという人間や団体がいたら、ぜひ会ってみたいものです。

ダム建設には莫大な費用がかかります。現在日本で計画中の多くダムについても、これに見合う効果はないとみられています。特に近年は、国の財政状況が極度に厳しくて、他に税金を使わなければいけないものが、とても多くあるのです。(たとえば、福祉や医療や失業者への手当に対して。あるいは、教育や科学研究費などに対して)。

このような財政状況の中で、2,30年前に計画されたダム計画が、吟味もなしに盲目的に進められるのは、許されることではありません。

なお、ケインズ経済学の名を借りて、かなりの与党政治家や御用学者たちは、不況を脱するためには、何が何でも公共事業を推進するべしと言いますが、これは間違いと考える専門家が多いのです。それは、小渕、森の両総理大臣の時期に、十数兆円の金を公共事業につぎ込んでも、いっこうに景気はよくならなかった事実が証明しています。

J.M.ケインズ自身が、自らの理論は、すべからく普遍的なものではなくて、ある状況の場合のみ適用されるものである故、どんな場合でも柔軟性をもって、使われなければならない、と述べていると聞いてます。ここ十年の日本の政治経済政策は、ケインズ自身が草葉の陰で嘆き悲しんでいるはずです。もっと別の改革しなければいけない問題があるのに、軽薄な「ケインズ経済」を唱えていたからです。

私は経済学は全くしろうとですが、このように思います。

こういう状況において、なんら根本的なことに手をつけず、百年一日のごとき漫然とした政策を続け、そして、必要もない大型ダム計画を、自らの重量が重すぎてカーブでも減速できない蒸気機関車のように実行しようとしている日本の予算のあり方を、私は「狂気の沙汰」と、呼んでいます。

(ウ)洪水対策

ここ百年は、世界中で大きなダムが造られました。特に多いのが、アメリカ、カナダ、中国、そして日本です。前の3カ国は面積が巨大な国でダムの多さもある程度理解できますが、狭い国土の日本も「ダム大国」なのです。

ところで、ダムは洪水を防止するはずでしたが、20世紀は以前より大洪水の発生とその被害が、逆に増加したと統計は物語っています。

大筋をいえば、ダムは大洪水を防止しなかったのみならず、洪水の被害を助長したのです。みなさん、よくこれを記憶にとどめておいて下さい

現在、大きな洪水の予防としては、ダムに頼らず(ダムは人工的であり、部分的であり、環境を壊して造られるものです)、「水を逃し、散らす」方法にするべきと、軌道修正されています。これは、日本の江戸時代や、現在のヨーロッパ(たとえば、ライン川の中・下流部)に見られるように、河の周辺は、本来水があふれていい場所であり、そういうスペースを、十分にとっておく、さらには、ため池なども利用し、河の流域全体で、大洪水を防止するという考え方です。一見古い考え方のようですが、効果においても、費用においても、環境への配慮においても、ダムより、ずっとよいと考えられています。

さらに申し上げますと、日本では建設省(現在、国土交通省)の、河川局の力がとても強くて、川が必要以上に人工的にいじられている状況があります。皆さんも、なんでこんな所で、川の工事をしてるんだ、という感想を持ったことがありませんか?私は、何度もあります。

国がここ数十年やってきたのは、川を直線化し、川の両岸をコンクリートづけにし、おまけに、時には川底までも、コンクリート化するという、世界でも例をみないほどの、「川の人工化」でした。国(官僚)は、日本の川は急流が多く多雨な国柄でもあるから、洪水予防のためには、そうしないといけないのだ、と言うでしょう。しかし、度が過ぎてます。しかも、この「川の直線化、コンクリート化」は、大雨の水を一気に下流の都市部に集中して流し込ませるため、昔より、大洪水の頻度も程度も、日本では悪化しているのです。

ダムは、人類の知恵・技術文明の偉大なあかしと、考えられました。そういう面もきっとあるでしょう。しかし、科学や技術というものは、「それを用いて達成されるものは、人間にとって、本当によいものなのか」ということに、たえず注意し、判断していないといけないのです。そして、人間や地球にとってよくないものなら、それを軌道修正なり、捨て去るなりしなければなりません。20世紀後半は、この問題が、あらゆる面で人間社会を困らせたのでした。物理学の進歩により核兵器が作られ使用されました。人類のためになったでしょうか。農薬は農家の生活を格段に楽にしましたが、消費者や環境にとっては、現在どういう状況にあるでしょうか。生物学が進歩したからといって、可能な技術は何でも許されるでしょうか。クローン人間の誕生は皆さんどう思いますが。

私の考えはこうです。人間の科学も技術も偉大である。しかし、いまひとつ、いや、まだまだ「不完全なもの」だ。地球そのものや、生き物そのもの方が、ずっと偉大である。それらは「完全に近いもの」なんです。たとえば、人間(そして他の生き物も)の体の機能と構造についての「霊妙さ」は、言語を絶するほどすばらしい、と医者や生物に詳しい人はみんなそう思っているはずです。(たとえば、免疫の機構など)---神様が作った、あるいは神を信じない人の言葉にすれば、「生き物とは数十億年という時間が作った、完成品」だからです。たとえ、あなたの息子が出来が悪くても、卵を生むだけがとりえの鶏でも、みなそうなんです。この悠久の時空に比べたら、人類の知恵も「猿知恵」にしか思えません。

閑話休題。科学技術の進歩に惑わされてはいけません。人間や生き物や地球にとって、何がよいかを吟味しながら、科学技術を応用していくいくのが、21世紀の課題なんです。そうでなければ、地球も人間ももちません。あなたは、地球をゴキブリが主人公になった惑星にしたいでしょうか。

文明論的な反ダム論には、こういう大局的状況があると思います。

(エ)ダムの寿命・土砂堆積

ダムの上流からは、水とともに大量の土砂も運ばれて、ダム湖に貯まります。上流の地形や土壌の性質によって、その程度は違いますが、たとえば、大井川の千頭ダム(1935年完成)は、ダムの98%が土砂、天竜川に1936年に完成された泰阜(やすおか)ダムは、すでに79%が土砂で埋まっています。日本には、ダムの50%以上が土砂で埋まっているのが、44カ所あります(朝日新聞、平成14年11月18日?朝刊)。

それに対しては、下流に土砂を逃す方法もあるそうですが、とてもとても。また、浚渫(しゅんせつ・土砂を船でかき出す)という方法もありますが、莫大な金がかかります。

そもそも、ダムは万里の長城やピラミッドのような半永久的な建築物ではありません。巨大な圧力に何十年もさらされます。その維持には莫大な費用がかかります。そしていつの日にか、寿命を終えます。ダムそのものが老朽化することだってあるでしょうし、土砂の堆積で使えなくなることもあるでしょう。地震で損傷もしくは決壊することもあるでしょう(大型ダムそのものが、地震を誘発することもありうる。外国ではその例があります。1967年、インドのコイナナガール村、あるいは、1963年、イタリア、バイオント・ダムの越流事故など)。

廃墟となったダム。考えただけでもぞっとします。破壊し元の自然に似るように戻すには、莫大な金がかかるでしょう。もちろん完全に元には、戻るわけがありません。

(オ)河口への悪影響

海岸の砂は、川によって山や陸地から運ばれた砂によってできています。ダムに貯まる土砂が大量であれば、海岸がなくなっていく(浸食される)のは当然です。日本にはそういう海岸が少なからずあるそうです(たとえば、有数のダム銀座である天竜川の下流の駿河湾など。美しい東海道の海岸が、テトラポットで見るに耐えられない状況である。日本はいまや、とても世界に国土の美しさなんて誇ることはできない。むしろ、最低の部類の国なんです。詳しくは、たとえば、Alex Kerr著「Dogs and Demons. TALES FROM THE DARK SIDE OF JAPAN」参照。そのうち、日本語訳も出るでしょう。)

さて、ダムは沿岸漁業にもかなりの悪影響を及ぼしていることをご存じですか。よい漁場というのは、大きな河の河口付近に多くあります。河の水は、栄養にあふれた森の水を海に運び、海の植物や小動物、魚をはぐくんでいます。

しかし、たとえば、「日本一豊潤な海」だった富山湾では、黒部川のダムなどから排出される土砂(ダムに貯まった汚いヘドロのような土砂)によって、近年漁獲量が大きく減っています。大ヒラメ、ブリ、甘エビ、越前カニはどうしたんでしょうか。大変な損失です。

(カ)水の学問(水文学・hydrology)における水量計算の困難性

(2)成瀬ダムはいらない(反成瀬ダム 各論)

では、私たちは成瀬ダムがいらないと考えるのかを、次に書きます。

(ア)環境

これ以上、秋田の美しい山・川・森・生き物をこわすな!

何はともあれ、この単純な気持ちを大事にしたいから、あえて反対運動をするのです。(もちろん、他の理由もあります)

成瀬ダムが計画されている地域はとても豊かな、東北の森なんです。清流なんです。

国が定めた森林生態系保護地域がダム貯水湖予定地域に接しています。(本当は、保護地域とダムとが重なる部分が、あるはずだったのに、国は恣意的に(わざと)、保護地域境界線をゆがませていると、私は推察しています。)

すぐ近くに、クマタカの巣があります。周辺に豊かな生態系があるからこそ、クマタカが飛ぶのです。クマタカは、この地域全体の環境の良さのシンボルなんです。

(イ)治水・洪水防止

総論にも書いたように、洪水防止のためのダム建設、という考えは過去のものです。

(上記参照)

さて、成瀬ダムの計画は、150年に1度程度の大雨を想定してます。

しかし、極度の大雨が、この地域にどのような洪水を引き起こすのかは、計算は不可能なのです。計算式があったとしても、たとえば水を吸収する森林の状況(スポンジ効果)は、時代が変われば様相も変わりますから、計算式に入れる数値は大変不確定なものです。他の数字も同じように不確定なものです。そもそも、自然そのものが、「複雑系」であって、上級国家公務員試験のレベルを、はるかに超えているのです。

でも、きっと国はいうでしょう。我々は治水に責任をもたなければならない。お前らのように、「不確定」などといって、無責任なことは言えないんだよ、と。ある程度無理でも、計算しないといけない、と。

もちろん、そのとおりですが、ダム計画における数値設定は、ダム計画を推進する側(この場合は国)に都合のよい設定がなされる傾向がある、というのが、定説です。日本には「省益」というものがあるそうですし(国民の利益よりは、自分らの省あるいは部局の利益・予算執行を大事にする、という許されがたい倫理傾向)、そしてダム業者(大手ゼネコン)も、当然ながら会社の繁栄を約束する数値設定を選ぶでしょうから。

私たちは、そのような数字を見せつけられたり、説明を聞いた場合、必ず疑ってかかる必要があります。現在の日本の状況では、特に疑ってかかる必要があります。

こういう問題は、私たち地元のしろうとだけでは、とても不十分ですから、良心的な大学教授などその道の専門家に、分析を依頼することになります。

(ウ)農業用水の供給

成瀬ダムの最大の目的は、農業用水の確保だそうですが、私は、農業については詳しくないので、ここには大まかに書きます。

もちろん古来から灌漑用水の確保は、多雨の国の日本でも、農民にとっては最大の問題でした。「これで満足、満足」ということは、今までもなかったし、これからもありえませんでしょう。しかし、日本人は知恵をはたらかせ、地域の人々で協力し合って、米を作ってきました。そして、この横手盆地も、日本有数の米どころでした。

「もっと、水を」と思っている人々は、成瀬ダム下流の地域にはきっといるでしょうが、はたして、成瀬ダムができればいまより格段によくなるのでしょうか、では、いったい、今までは、どのように水を使っていたのでしょうか。ダムを造るのが、唯一、最善の手段なんでしょうか。成瀬ダムがないと、本当にやっていけないのでしょうか。

私は、ダムに賛成しているときく多くの農家、増田町、十文字町、平鹿町、あるいは南外村あたりの農家の方々に、上記の質問を真剣に提出したい。

今までそんなに困ってたんでしょうか。減反につぐ減反にいま、あなた達が、後の世の郷土の山や森や生き物を壊してまでも、成瀬ダムを本当に造ればいいと思うんですか?本当に水が足りないのなら、もっと地域で協力し合ったり水を大切にして使い、うまくやっていく努力をしてきたのでしょうか。

しっかり考えてほしい。成瀬ダムなんかなくても、営々と米作りに生き続けたあなた達の先祖の時代と比べ、今の時代はそんなにも変化したことがあるのですか??

国がやるから町長がやるから、何でも追従する。そういう主体性のない精神が、本来は国の最重要産業である日本の農業がこれほどまで、だめになった根本原因だと私は考えています。

主体性を持つ人間になるには、多くの人間や本や情報に接してたくましい人間になること、それをもとに誰の頭でもない自分の頭で、自分自身で問題を考えてみること。(けっして、本家の頭領や町長に考えをあずけてはいけません。現代はそういう時代です)

主体性をもち、それを自分の生き方に表現できる農業者が、一人でも多くこの秋田県南から今後でてくることを、切に望みます。そういう人が増えれば、秋田の農業にも産業にも夢と希望が生まれるでしょう。自分らでがんばるしかないんです。

成瀬ダム問題についても、一人でも多く、自立した農業者がいろいろ発言してくれるようになってほしいと思います。

(エ)水道水の供給

1年前に月山ダムができて、そちらから上水道の水を取水するようになった鶴岡市では、5年間に水道料が2倍!になる予定です。ダムの工事費の一部や水道の設備費が、地元負担になるからです。しかもダムの水に変わってから、味は落ち、水温は冬に冷たく、夏にぬるい。冬の冷たい水は、風呂などの燃料費をかなり高くします。

そして、恐ろしいことに、鶴岡市では、もともとあった地下水用の井戸を、わざわざ行政当局が、埋め立てて使えなくしています。なんていうことだ。(井戸があれば、そちらを使う市民がいるからでしょうね)

さて、ここ湯沢市では現在、関口地区において雄物川の伏流水をとって、市民の水道水にあてていると聞いてますが、これが今後なぜだめなんでしょうか。地下水の水位が下がってきてるから? あるいは、その水が汚染されてきてるから???

地下水は石油と違います。石油なら使っていればだんだん減りますが、水は循環している。大切に使えば、まだまだどうにかなるはずです

北国の地下水は冬季に水位が下がります。地面が凍って、水が地下にしみこまないから。ところで雪国のこの地域では、冬の除雪に地下水を利用してる所がとても多く(当院の駐車場もそう)、しかしながら、その水を「湯水のように浪費している」場面を、あまりにも多くの所で目にします。もしダムがなければ水が足りないのなら、こういう地下水の浪費をまず改めなければなりません。

ちゃんと別の方策を考えもせずに、あまりにも安易に環境を破壊し、莫大な金をつぎ込んでダムを作るという考えが浅はかなんです。ダムなしで私たちがどのような文明生活を享受できるのか、その辺をしっかり考えるべきだ。本当に水が足りなかったら、節約すればいい。家庭における水の使用で圧倒的な量のトイレの水は、風呂の後湯を使えばよい(そのなことは、地球上の大部分では、常識です。日本やごく一部の国だけが、水を浪費している)。

この降雨・降雪量の多い日本で、地下水が少ないからダムしか方法がないという考えは愚劣です。真の意味で「文明的でない」のです。

「はじめにダムありき」、この考えは捨てられなければなりません。

日本の政治家・官僚よ、もっと真面目にやれよ!!

たしか平成14年の記。内容の一部に古いところがあります。ただし、根本的問題は何ら変わっていません