秋田県の健康度を高めるために

――まず的確な問題把握を――

驚くほど悪い健康指標

 がん死亡率全国一、脳血管死亡率全国三位(男)、平均寿命は下から二番目、自殺率全国一、何ともうんざりするような秋田県である。人間は結局死ぬのであるから、何かの病気が全国一であるのはやむをえないし、不名誉なことでもない。だから平均寿命だけが唯一の重要な指標という考えもあるだろう。しかし重要な病気の死亡率高位がこれだけ並べば、「健康度が悪い県」と言われても仕方ない。

付け加えれば出生率、高齢化率、人口減少など人口動態・静態の指標も、ご存知のとおり国内で最低グループにある。

なぜこれほどまでに健康度が悪いのか。その意見を述べる前に、秋田県全体の風土と歴史----本稿ではこれらをまとめて「文化」とよぶことにする-----をごく簡単に概観したい。後述するように、県民の健康度とその地域の「文化」とは、密接な関係にあるからである。

 秋田県の風土

 昨年は、県内でいやな事件が続いた。また経済的低迷もずっと続いている。しかし本来の秋田県は、全国レベルにおいても、よいイメージに包まれていた。秋田美人、米どころ、酒の国、うまい食べ物、地域色豊かないろんな祭り、そして金銭的その他において鷹揚な人柄など、ひそかにあるいはおおっぴらに自慢できることに事欠かなかった。しかし、大都会に進学なり就職なりで出て行く県出身の若者たちが、この春は胸を張って「私は秋田の出身です」、と大きな声で自己紹介できるだろうか。

 秋田県の現在の低迷は、日本政治の地方政策の貧弱さに大いに関係があり、秋田のみならず日本全体で地方が喘いでいるわけであるが、その中でも本県の先行きの暗さは度が強いのではないだろうか(地方テレビは基本的に暗いテーマは避ける傾向にあるし、また地方新聞も本質的な問題の提起をする気概もないから、本稿のような問題は重要な事項なのに、それらにおいて表面には出てこない)。もし経済の低迷が他県より目立つとすれば、本県人の「進取性の乏しさ」が主たる原因になっていると私は考えているが、どうだろうか。

古代から昭和前半までの長い長い期間、この国の最重要の産業は第一次産業(農林漁業)であった。秋田は農耕に適する平野が多く、また冬以外の気候がとても良好であり、「神々の愛でし土地」といえただろう。あるいは、いつからか「裏日本」と呼ばれるようになってしまった日本海側も、元々は日本の海運の主要ルートの一つであって、何のハンディもなかった。おまけに、いくつかの時代において県内の各地では、銀や銅や石油などの天然資源を産出し、地域の経済的隆盛に大きな貢献があった。そして過去において重要な産業であり続けた林業・木材業も、秋田県は資源に恵まれていた。先に述べた秋田県の諸々の美点の原点は、(そして中心都市久保田・秋田の夜の街、谷崎潤一郎はじめ数々の著名人がほめ称えた川反の繁栄も)、こうした経済的基盤の豊かさにあったことは間違いない。

しかし現代日本で最重要産業は製造業であり、その中心はあらゆる種類の機械製造であり化学工業だろう。これらは常に技術革新を追及する必要があり、かつ不断に効率的な組織改革を目ざさなければならない。これに必要なのは強いリーダーシップの存在であり、農耕社会に特有の「なあなあ会議」や「ほろ酔いながらの懇談」とはまるで無縁の、各人の強い自立心や向上心であろう。(困難の増している農業でも、実は今必要とされるのは、このような工業と同じ精神ではないだろうか。しかし、県内の諸々の組織の手法は旧態依然にみえる)。

秋田県(と青森県)は、東北六県の中でも特に工場の少ない県であるのは、東京からの地理上および運輸上の距離のハンディと、冬季の雪の多さにその原因があろう。しかし、近代までの第一次産業中心の時代で、恵まれた条件に合ったからこそ、逆に進取性に乏しい県民性になったという、「人間」の側の要因もおおいにあると考えられる

 健康度が悪い原因

死に至る病の発症と進行を決める要因には、大きく三つある。体質(遺伝子)と、生活習慣、そして医療・福祉のレベルである。

さて秋田県民の遺伝子は、がんや動脈硬化になりやすくできているのだろうか。これは今のところ判断の方法もなく不明である。しかし直感的には否定的と考えるのが妥当であろう。直感は大切だがしばしば間違う、にしてもである。(なお、動脈硬化関連に関係があり頻度も高い睡眠時無呼吸症候群は、体型・骨格に関連があり、各県ごとの頻度の違いを今後研究されなければならない。骨格を決めているのはもちろん遺伝子である。)

次に医療・福祉レベルはどうだろうか。福祉レベルが各県でそんなに違うとは思えない。医療レベルが秋田県は低いのだろうか。いや私は、そして先生方の大部分もノーと言うはずである。昨年、秋田県のがん医療のレベルが劣っているかのような錯覚を与える番組があったり、がん拠点病院の選定の遅れなどのため、秋田県のがん医療が遅れているとの誤解をもった県民がいたようだ。しかし、がん医療のレベルが秋田県だけ低いとは考えられないし、秋田県医師会も正式に否定している。

現代の医療の知識や技術は、「科学」を基盤にして行われているから、世界共通であり国内でも格差はありえない。手術や最先端医療では、多少の差は生ずるだろうが、情報の量も速度も十分、しかも学会や研究会などで人的交流の盛んな現代において、各県の医療レベルの違いが、病気の死亡率を左右するなどとはとうてい考えられない。

では県民の健康度を損なっている原因は、残った「生活習慣」だろうか。実にそのとおりだろう。

生活習慣の何が問題か

病気を引きおこす悪い生活習慣としては、医師なら誰でも知っているように、次のようなものがある。動脈硬化に関しては、喫煙、アルコール過剰、塩分過剰、カロリー過剰、動物性脂肪の過剰、運動不足、ストレスの持続など。がんについては次の項目だろうか。喫煙、塩分(胃がん)、過度の肉食(大腸がん)、アルコール過剰(食道がん)など。以上の中で双方に共通しており、また常識的にも健康度を損なっている主要な項目と考えられているのは、喫煙、アルコール、塩分であろう。

タバコ

現在、生活習慣で最も悪者とされているのは喫煙である。もちろんタバコは健康によくない。たばこが原因としか考えられない肺がんや心筋梗塞の患者を、私も大きい病院に勤めていたときは、何人も経験した。しかしタバコの本数と病気の発生率との関連の、きめ細かなデータは存在しないと私は考えている(その理由は本稿では書かない)。

生活習慣の中でタバコが最悪なのであれば、健康度が日本で最低レベルの秋田県はタバコ消費量が、国内で上位であることが予想される(遺伝子と医療レベルの関与の問題は、上のように一応否定したのだから、理屈ではそういうことになる)。しかし、私の手元にあるデータ、JTの出している「2005年 全国主要都市 たばこの世帯あたり購入額」では、秋田市は全49都市中、41位である(最高は札幌で、秋田の2.4倍)。秋田市はたばこ消費が少なくても、秋田県全体では多い、などということはまず考えられない。

すなわち、秋田県の健康度が相対的に劣っている原因としては、タバコが第一位ではないと考える。タバコは国内の全域で同じように悪さをしているから、県ごとの健康度の違いには現れにくいという考え方もあるかもしれないが、この件に関してもここでは詳細は避ける。 

(たしかに禁煙は大切かもしれない。でも、1本も、10本も、40本も全部一緒くたに論じられるのが気に入らない。そして私は、県内で禁煙運動の大会などを一生懸命やっている人たちをみると、もっと大事なことがあるのに何でタバコだけを悪者にするんだ、と思ってしまう。私からすれば、飲酒の方がタバコより有害である。後述するように本人の心身を痛めるし、タバコ以上に他人や社会に害を及ぼす。ではなぜ、「禁酒運動」は催されないのかと言いたい。

たばこの害については、世間の平均レベルの人々には、すでによく浸透している。現在、喫煙者はブルーカラーに比較的多く、彼らの多くは心理的にたばこを必要としている。知的レベルが高い先生方が、各自忙しい時間を惜しんで大会を催すくらいのエネルギーがあるのなら、何か別の、強い権力者に立ち向かうような高い志を、と願うのは私のわがままであろうか。なお、私は自分をブルーカラー的とみなしていることもあり、タバコを少し吸う。ただし嫌煙権は尊重する。)

もちろん、タバコは第一位の重要性はもたなくても、110本以上、特に20本以上の喫煙者が格段に減れば、秋田の健康度は改善するだろうとは私も思う。

 アルコール

 結論を言えば、秋田県人の健康度を損なっている最大原因は、アルコールと塩分の過剰と、私は考える。この二つはタバコと異なり、日本の中でも秋田は有数の消費県である(アルコールは、全国4位。東京が圧倒的1位であるが、これは東京都以外の住民が、東京で酒を飲むから高率になる。他は高知と新潟。高知は秋田と同様、健康度はよくない。新潟は秋田県と似て自殺率が高い)。

 秋田県の健康度を損ねている最大の病気は、がんと脳血管障害である。「脳血管疾患死亡率」で秋田県は男が全国三位、女も十位以内である。アルコールの過剰は脳血管障害を増やす。また、飲酒時だけいびきと無呼吸が目立つ、「飲酒時睡眠時無呼吸症候群」(私が勝手に命名)も飲酒県では重要な病態でないかと、推測する。

 秋田県民の男は、晩酌の量が多い。外来で患者の多くは医者に質問されて、酒の量もたばこの本数も、真実の半分か3分の2ぐらいにしか言わないものだと私はみなしているが、日本酒換算で3合ぐらいという述べる患者はかなり多い。3合であっても、長年にわたれば害がある。まして、3合と申告する人が、実は4合や5合飲んでいるとしたら-------

 なぜこんなにアルコール消費量が多いのだろうか。それは、次に述べる塩分と全く同じ、「秋田県の文化」だからである。

 晩酌を3、4合続けても、「それが普通の量だ」ととらえているのが問題なのである。自分の父親もそう、友人もそう、隣のおやじもそう、だから何も飲みすぎではない、と思い込んでいる。

 近年、私は外来で、「秋田や湯沢ではそれが普通かもしれないが、一般的な意味では、毎日飲む量としては、大変多いのですよ」と、よく言っている。しかし、目の前の患者は普通の量と思い込んでいるから、ポカンとしているのである。

 一人一人の患者に言っても限界がある。秋田県全体で改善していかなければ、いつまでたっても短命県の汚名を剥がすことはできないと思う。

 酒量が多い文化が秋田県に成立したのは、冒頭で述べたように、過去において経済的基盤が比較的良好であったことが、最大の要因と考えている(食うに困り、忙しければ酒に浸っている時間はない)。また冬に何もすることがなかったという、高緯度多雪の気候も関連あるだろう(小人、閑居して不善をなす)。あるいはもっと別の因子があるのかもしれないが、気づいた方はぜひ教えてください。

 塩分

塩分の過剰は、脳血管障害の多さと密に関係あり、また胃がんの多さとも関連がある。秋田県の健康度を改善するには、いまもってきわめて重要である。

今から40年前頃、秋田県の農村が堆肥の悪臭から解き放たれ、また農家の台所も近代化され電化製品で埋まっていく時代に、市町村や農協などが中心になって、減塩運動が盛んだった。だがいつの間にかその火は消えた。しかし、いまだ秋田県の食事は塩分が多く、またスーパーやコンビニで売っている出来合いのおかずを食べる家庭も増え、塩分摂取量はひところより増加に転じたと聞いている。

私の外来の大部分は高血圧と心臓病の患者なので、塩分制限については、朝から晩まで、毎日同じことを言う繰り返しである。「漬物、ぼだっこなどしょっぱいものはできるだけ食べないで」、「味噌汁や麺類のつゆはできるだけ残して」、「しょうゆはかけないで、つけてたべるようにして」。

私が注意すると、患者の言うことはほぼ決まっている。「おら、漬物好きだし、小さいときから食べ慣れているからな。」

全くそのとおりなのである。何を食べるかは、まさに、「文化そのもの」だから。そう簡単に軌道修正できるはずがないのだ。だからいつまでたっても、秋田の食事は塩分が多い。

秋田県の食事の塩分量が多い理由は、酒量の多い理由とはまた異なる理由があったし、その必然性もあった。3、40年前まで、北国では冬季の食物、とくに動物性蛋白の保存のために塩が必須であった。これはヨーロッパも同様である。ところが現代は、各家庭に冷蔵庫がある。新鮮な食料の輸入も、円滑な流通のための道路もある。スーパーも身近にある。塩漬けの食品を摂取しなければならない必然性は、今は全くなくなったのだ。でも人々が、親の世代と同じ食べ物を食べ続けているのは、それが体に沁みついた「文化」だからである。

しかしながら、時代にそぐわない「よくない文化」は、捨て去る気概をもたなければいけないのではないだろうか。秋田にはそれが必要である。

なお近年、日本高血圧学会のガイドラインなどを通じて、「血圧の厳密なコントロール」が、医学的に大きく叫ばれ、さらには家庭血圧の普及による仮面高血圧の発見など、高血圧の患者や病態の新たな掘り起こしなどにより、降圧剤の使用量とその費用は莫大なものになっている。私も、3、4種類の降圧剤を投与している患者が多数いるが、1200円もする薬もあり、ひと月なら6000円にも達する。塩分過剰を放置して、降圧剤を増やすのは製薬会社を喜ばすだけであり、患者のためにも、社会のためにもならない愚の骨頂である

 所得が少ない秋田県では、この観点からもぜひ塩分制限を一からやり直す必要があろう。

自殺率が高い理由

 この十年間、秋田県の自殺率は全国一が続いている。いろんな防止策を講じているにもかかわらずである。たいへん不名誉なことであり、不幸なことでもある。中年の自殺も少なくなく、平均寿命を短くしている要因になっているのではないか。

なぜ秋田県は多いのだろうか。遺伝子的にうつ病系が多いとは考えにくい(ただし明らかなその根拠はない)。詳しい原因は誰にもわからないのだろうが、推測はできそうである。

一つは酒量が多いこと。久里浜の精神病院に長くいた同級生の精神科医によれば、アルコール過剰の県民性と、自殺率の高さは、おおいに関係ありそうだとのことである。社会的もしくは家庭的に破綻をきたしていなければ、自分をアル中とみなす人はまずいないだろうが、過度のアルコールは「うつ」を誘いやすいのは、精神医学では定説だろう。うつ病は女に多いのに、自殺は男が女の2倍というのは、間違いなくアルコールの関与だろう。

各人の仕事や性格に破綻をきたしていなくても、秋田県民の酒量は減らさなければならない(酒の町、湯沢で生まれ今も住んでいる私が、こう言わなければいけないの心苦しいのです。)

次に、県南の精神科医M氏に、ある会で私が突然質問したのに答えていただいたことには、「周りに自殺者がいるからでは」、とのことだった。たしかにそんな気もする。自殺に親和性をもち、悪循環を形成するというようなことがあるのかもしれない。

三つめの原因としては、私が長年推測してきた問題をここに提示したいと思う。これについては2、3の精神科医にその正当性を尋ねたことがあるが、全員、ほぼ同意してくれたと思っている。それは、「秋田県人は酒を飲まないと無口な人(特に男)が多い。しらふでは家庭内で大切な問題も言葉にして出さない。そういう習慣で生きていれば、結局独りで苦しみをかかえることになってしまう。言語化しない苦悩や絶望は、自殺につながりやすい」、ということである。

過去の秋田の社会では、家庭や仕事の問題について、祖父母や本家の主人や地域の長老が出てきて解決策を考えてくれただろう。その前段階としては、酒をのみながら、世間話の中で、悩みのほのめかしがあり、それを人生経験の豊かな人が、賢く察知してくれただろう。しかし現代は基本的に核家族となり、家庭内で自らがすすんで話をしなければならなくなった。それなのに、特に農村社会では、そのような態度----身近な問題を、しらふできちんと言語化して、家族や他人に説明やら相談やらをすること----をとる習慣に慣れていない方々が、中年にも若者にもまだいっぱいいるような気がする。これは秋田県に特徴的なのではなく、日本の農村、特に東北地方ではどこも似たり寄ったりなのだろうか。だが隣県とくらべ、過去には秋田県が経済的に恵まれていたからこそ、酒量も多く、言語化する悩みも相対的に少なかったとすれば、秋田県人に特有の欠点である可能性がある。

 酒を飲めば、秋田県人は人一倍陽気である。その享楽性と酒好きから、ある人は秋田を「東北のラテン民族」という。それはそれでいい。しかししらふで大切なことを話し合う文化が、秋田県には必要である。「悩みをもったら、口に出して」と指導しても、危機のとき突然多弁になれるわけがない。「日常的に、ふつうのことを、ふつうに話をする」、そういう習慣が欠けている人間が、秋田県では多いのではないか、そこを何とかしようということなのである

 自殺率の低下のためには、地域ネットワークなどによる防止への取り組みが県内でも盛んになってきてよいことである。それと平行して、上に述べたように過剰な酒量と無口性の是正、そしてプライマリケア医療におけるうつ病の診療能力(特に発見能力----すべての科の医師が「うつ」の頻度の高さを理解すること)の向上が必要であると、私は考えている。

健康度を改善するのは、「秋田の文化」の変化から

 以上述べたように、秋田県の健康度が国内最低レベルから脱出するためには、「秋田県の文化」のよくない面を変える必要がある。塩分も、酒量も、無口性も全て「文化」である。

よい文化は末永く残せばよい。地域色豊かなお祭り、盆踊り、スポーツ熱心、人のよさ・気前のよさ、これらはずっとこのままであってほしい。しかし、時代にそぐわない文化や、健康に悪い文化は捨てなければならない。

生活習慣を変えるのは、医師個人個人が、日々の診療の中で努力しても、なかなか成果は上がらない。だから組織だった取り組みが必要である。

医師会が県に働きかけて、私が主張する以上3点の重要性を説得していく。県はそれを受けて、市町村や民間会社、JAなどを通して、県民の一人一人に、変革への必要性と勇気を説得していく、というのはどうだろうか

禁煙運動も大切だろうが、秋田県においてはこれらの方がよほど効果的であるように、私には思える。

おわりに

地域の文化や食生活は、その土地に特有の気候風土や歴史のなかで育まれるのだから、人知を越えた「必然性」がなした結果、とは言えるだろう。とすれば、本稿で私が述べたテーマ、「全国で最悪の健康度をよくするために、秋田の文化を変えよう」などという意見は、傲慢であり浅知恵であろうか。たぶん、医師の約半分はそのように考えられると推測する。大智はそうなのかもしれない。大きな宿命の中でもがいてもしょうがないし、人為的にそんなことをするのは無理な話だよ、という声が聞こえてくる。

しかし私はそうでもないような気がするのである。大筋において、「歴史」は人知を超えたところで動いたのかもしれないが、人知によって動いた部分もあるはずだからである。

さらにもうひとつ-------。芭蕉は自己の俳諧の要点について、「不易流行」と述べたという。永遠性の「不易」と、その時々の「流行」。相反するものながらそのどちらも大切である、というのが底の浅い私の理解である。芭蕉には失礼ながら、私はこれを国や県の医師会活動への注文に応用したい。

医師会で話題や討議題になっているのは、

たいがい「流行」である。現代は変化が激しく、目先の問題が山積みになっているから、それらをまず解決しなければならない、それはよくわかる。理事をやっている先生方が自院の仕事を犠牲にし、しかも限られた時間で医師会の仕事をこなさなければならない、それも理解はしている。しかし「不易」はどうしたの、と聞きたくなることもある。たとえば、「医師会の活性化」、「医師会と政治とのかかわりはどうあるべきか」、「日本医師会が本気で医療政策にかかわるには、どういう方法論をとるべきか、それともすでに不可能なのか」などがすぐ思いつくが、他にもいろいろありそうである。

「流行」だけにとらわれて、「不易」をないがしろしているのでは、底の浅い作品(結果)しか生まないであろう。これを本稿のテーマに応用すれば、秋田県の健康のためには、「禁煙」や「メタボリックシンドローム」は「流行」であり、「減塩」、「節酒」、「しらふでの会話」、この3つが「不易」であろう、というのが私の意見である。




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秋田県の健康度を高めるために
                                (平成19年1月の記)