以前この川連の龍泉寺を訪れた際に、当時のご住職から龍泉寺という名前のお寺が、ほかにもこの近辺に三つあると教えていただいた。この狭い地域に全く同名の寺院が四つもあるというのはかなり不思議な話であるし、しかもいずれも増田町の満福寺の末寺になっているのである。
おそらく五つのうちの四つはこれらの同名の寺院群を意味しているのだろう。そしてもう一つには決め手がないが、仮に稲庭の広沢寺を入れてみた。というのは、四つの龍泉寺の内三カ寺までが、中世期に県南地方を長きにわたり治めていた、小野寺氏の菩提寺の伝承を持っているし、稲川地方での能恵姫物語の認識は小野寺一族にまつわる物語という見方なので、小野寺氏の本拠地の菩提寺である広沢寺を外すわけにはいかないだろうと思ったからである。以下五つの寺を列挙してみる。
○稲川町川連 龍泉寺
○羽後町高寺 龍泉寺
○平鹿町浅舞 龍泉寺
○東成瀬村岩井川 龍泉寺
○稲川町稲庭 広沢寺
これが語り手の言う五つの寺であるかどうかはわからない。また、これらの寺院の創建年代はまちまちであるし、物語の時代以前に創建されているものもあるので、現実に五つの寺が建てられたとは考え難い。ただ、一人の女性のために五つもの寺を建てさせたと語り伝えてきた人々の思いはくみ上げなければなるまい。
卵石の逸話に登場する白藤明神の他に、実はもうひとつ能恵姫の物語に関わる神社がある。それは、東成瀬村仁郷の赤瀧神社である。その神社には次のような創建の由来が伝えられている。
龍神にさらわれた能恵姫は蛇体となってサカリ淵に住んでいたが、皆瀬川上流の大倉村の鉱山から毒水が流れてくるのに堪え難くなり、新しい棲家を求めて皆瀬川を遡り小安の不動瀧に至ったがそこには既に主が住んでいた。そこで引き返して今度は成瀬川を遡り仁郷の赤瀧に辿り着き、ここを永住の地と定めた。その後この瀧の上に神社が建てられ赤瀧神社として祀られている。
赤みがかった岩肌と深い緑色の淵の水の織り成す情景は、物語の舞台にふさわしい神秘性を持ち、この場所に立って水面を見つめていると、なぜ後世この遠隔の地を舞台に物語の続編が加えられなければならなかったのかが理解できるような気がした。