一、岩崎河内守の重臣に斉藤東海という者があって、在城(増田)の某の依頼に動かされ、能恵姫婚礼の日に皆瀬川渡し場で一芝居を打ち、龍神の話を流布して置いて姫をこっそり某へ渡した。後日此の事が現れて東海は生き埋めされ、その跡が東海塚として残っている。
二、川連の小野寺氏と不仲であった増田の土肥氏が、能恵姫を川連へ渡すことを残念に思い、岩崎の重臣と通じて姫を奪った。
三、八木(増田)の九郎といふ者が姫を奪い、妻とした。また九郎は土肥に使われたのだともいう。
四、川連への嫁入りを快く思わない身内の者、又は重臣が姫をいづこかへ逃亡させた。
五、岩崎家の家臣の若者が姫を略奪。あるいは合意の上かけおちした。
六、天正の検地騒動で川連城主、嫡男桂之助が最上勢に捉われたため、それをなげいた姫が投身自殺した。
七、検地反対の一揆騒ぎの中で姫が行方不明になる。
八、検地反対の一揆が鎮圧され、その主謀者であつた川連城主父子が剃髪、出家した。この城主父子、殊に若殿の無念さを後世形を変えて残された物語。
ただここで問題なのは、これらの説が事実ばかりを追い求め、最初からこの物語を全くの作り話であると決めつけていることです。私は、この物語に込められた、人々の様々な願いや祈りにこそ目を向けなければならないと考えました。「其の二 法名の謎」から自説をご紹介したいと思いますので、ご覧下さい。