「マルゴサトウのサイト」について


 「マルゴサトウのサイト」は、故 佐藤健吉が、2002年12月から2004年11月まで、http://www5.ocn.ne.jp/~marugo/ で、公開していたものです。2004年10月より、現URLに移転し公開しています(BBS・フォトBBSは閉鎖)。現管理人は故 佐藤健吉の娘婿です。

※旧掲示板(BBS・フォトBBS)に書き込まれた「お知らせ」を引用します。

 
木瓜こと佐藤健吉 9月14日夜 永眠いたしました

佐藤 俊司  2004/09/20(月) 20:16

はじめまして、『木瓜』こと佐藤健吉の長男で佐藤俊司と申します。

皆様とこの掲示板を通じてお付き合いいさせてただいておりました父佐藤健吉は、9月14日(火)夜9時38分、入院先の公立横手病院(秋田県横手市)にて永眠いたしました。享年七十四、この10月27日で満73歳の誕生日を迎えるところでした。

これまで掲示板の中でたびたび言及されていた「体調不良」は、2003年5月に発見された食道がんによるものでした。 進行の度合いと高齢とを考慮して外科的な切除術は行わず、2003年6月半ばから10月下旬まで4クールに及ぶ放射線と抗癌剤の併用による治療を受け、食道のポリープ状の原病巣は焼き切れたものの、腹部リンパ節への転移の疑いを残したままで、通院による経過観察を続けているという状態でした。

当地(秋田県南部、平鹿郡十文字町)の厳しい冬の間は、町境を流れる皆瀬川の白鳥や近傍の田園地帯から望む鳥海山の雪景色を撮るくらいのものでしたが、春を迎えてからは活発に動き回るようになり、4月半ばには仙台市で開催された鑑真和上展に出かけ、松島瑞巌寺の桜を撮って帰ってきたりもして、私も会社の昼休みなどの合い間に画像掲示板での皆様とのやり取りを拝見しながら、まずは息災と安心していた次第です。

6月から7月にかけて、1週間ほどレスを返せない時期があって皆様にもご心配をおかけいたしましたが、8月の初旬には父の弟妹たちと夫妻で熱海へ2泊3日の旅行に出かけるほどに回復し、私自身も帰路の東京駅に見送りに出て5月の連休以来の再会をいたしました。

その折りの熱海海上花火大会の画像が上手く撮れなかったのが残念だったようで、新しいカメラと三脚、各種のマニュアル本を買い込んで地元の秋祭りの花火でのリベンジを心に期していたようですが、8月の旧盆の仏事をやり終えて以後、下旬からは極度の食欲不振から著しい衰弱状態となり、8月30日に公立横手病院に入院いたしました。

再入院時の検査を終えた主治医の先生にによる説明は、すでに腹部リンパ節からの転移が多臓器にわたって見られ、がん性の腹水もたまっており、極度の食欲不振はその圧迫によるもので、9月中に最期を迎える可能性もあるとのことでした。

入院後は末期がんのいわゆる緩和ケアを施していただきながらも少しづつ衰弱して行くような状態であったと母からは聞いておりますが、9月14日は朝から呼吸音がおかしくなり、徐々に血圧が低下し、夜9時38分に主治医の先生が臨終を告げて最期となったとのことです。

私自身と弟(9月9日に再入院の件を投稿した次男)は、残念ながら最期の瞬間に立ち会うことは叶いませんでしたが、苦しむことなく安らかな最期であったと、病室に詰めていた母や妹からは聞いております。

熱海のリベンジで花火を撮るつもりでいた隣町と地元の町の秋祭りの終了を待って、9月18日(土)に火葬・葬儀を済ませ、本日9月20日(月)は初七日のお経をあげていただいたところです。

この掲示板を通じて皆様から頂戴したはげましのお言葉やお花の画像は、父にとって生きるための大きな力となっていたようです。 普段はいたって口数の少ない、子供である私自身から見ても愛想のない印象の父でしたが、この掲示板での投稿やレスを読んではじめて、父の書くネット上の文章に不思議な愛嬌があるのに気づかされました。

面と向かっての会話では、知ることもなかった父の一面を引き出していただいた点を含めて、生前父が皆様から賜りましたご厚情に感謝申し上げます。

掲示板に似つかわしくない、長々とした投稿となってしまいましたが、遺族を代表しての挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。