パチンコ依存症この名前を聞いたことはあるでしょうか?

 

 パチンコに夢中になり、炎天下の中、車の中に子供を置き去りにして死亡させてしまった事件、
パチンコ代のため会社のお金を使いこみ、それが発覚しそうになると薬物を飲み物に混入させ、世間の眼をごまかそうとした事件。
この人たちは間違いなくパチンコ依存症です。
膨大な数の自己破産者、その何割かはパチンコによって人生を狂わされた人たちでしょう。
マスコミには登場しなかったものの、年金生活者、普通の家庭の主婦、中年男性などがパチンコ店のトイレで
首をくくって死ぬ自殺事件が多発しています。
パチンコ代欲しさ、ギャンブル代欲しさの殺人事件もここ十年だけで数十件もの数に達しています。
ヒラメのよく行っていたパチンコ店のトイレには,
「くびくくりや!」との落書きがナイフで彫られてありました。
地元では有名な話ですが,このパチンコ店の玄関先で首吊り自殺がありました。

 いかにしてパチンコ依存症になってしまうのか?その原因は人それぞれですが、最終的には
何らかのストレスから逃避するためにパチンコに依存してしまった、と言えるでしょう。
仕事がうまくいかない、勉強ができない、夫婦間、恋人間がしっくりしない、誹謗中傷された、人間関係がうまくいかない等、
本当にありとあらゆるストレスが私たちを取り巻いています。
現代社会で暮らす私たちは、そういったストレスを避けて通ることが出来ません。
ほとんどの場合、何らかの解決策を考え出し、困難を打開しようとするでしょう。
が、自分一人だけでは解決できない問題に直面したとき、その現実から「少しの間だけでも目を逸らすことができるなら、」と、
パチンコにのめり込んでしまうのです。

 

 何度かパチンコをするうちに大当たりを経験するでしょう。
そのときの心地よさが自分にとって利益のあるもの、報酬効果のあるものだと認識するようになります。
この報酬効果が大きければ大きいほど繰り返しパチンコ屋に通うことになり、どんなにお金を使っても一度は大当たり
しなくては気が済まなくなってきます。
これが
はまり始め、溺れた状態と言えるでしょう。
さらにパチンコ屋通いを続けると、
パチンコを打ちつづけていないと物悲しさ、空虚感を抱き始めます。
それを埋めるためにさらにパチンコ屋に通いつづけ、やがて
精神依存の段階へと入っていきます

 心地よさを求めてパチンコをするのですが、同じ大当たり回数、ドル箱の数、遊戯時間では、
それまで得られていた心地よさを感じなくなります

これが
慣れた状況、耐性ができた状況です。
したがって、前と同じ心地よさを味わうためには、よりいっそうパチンコに打ち込むこととなり、金銭的にも、
時間的にも、逼迫した状況になって行きます。
だからいったんはパチンコを止めてみる。しかし、
パチンコを止めるとイライラしたり、怒りっぽくなったりして、
不快な症状が出てきます。
何とかしてパチンコがしたい、お金の工面さえできたらと、常時パチンコのことを考えるようになります。
これがいわゆる
禁断症状です。
この不快な症状を打ち消すため、無理をしてまたパチンコ屋に通ってしまうのです。

 こうなると、パチンコに溺れた状況が形成されたことになり、徐々に依存症に移行していくのです

 

少しづつ、少しづつ生活の中でパチンコの占める割合が増えていき、気がつくと、パチンコの呪縛にがっちりと絡めとられ、
パチンコをすること自体が人生の目的に摩り替わっていくのです。

 

「ギャンブルホーリックは依存症の中でも、周りから見てそうとわからない点で、アルコール、薬物、甘味料などの依存症とは大きく異なっている。外見ではわからないために、しばしば、完全に手遅れになるまで誰も気がつかないといったケースもあり、ある面ではほかの依存症よりも家族全体の崩壊につながることが多い。手遅れになるケースは、ほとんど回復不能なほどの借金を抱えているからである。」(「ギャンブルフィーバー」より)

 

 確かにアルコール依存症は、周囲に気づかれやすく、薬物依存症もまた気づかれやすいでしょう。
しかし、パチンコ店は至る所にあり、ごく自然な風景となっています。
パチンコ店に入っても誰も咎めはしません。
悲惨な結末の一歩手前でさえ気づかれませんし、警告してくれる人さえいません。
本人にしてみれば自己嫌悪感や罪悪感を感じつつ、逃れられない呪縛、迫りつつある経済的破綻に苦しんでいても、
周囲は誰だって「気楽にパチンコに興じている」としか見てくれません。
第三者から見てパチンコで負けることなど笑い話でしかなく、もしも悲劇的な結末を迎えても、同情するどころか
「身から出た錆」としか思ってくれません。

 

 依存症からの脱出は、簡単にはいかないでしょう
何よりもまず、自分自身が
依存症という一筋縄ではいかない恐ろしい病に蝕まれているという認識が必要です。
依存症は「否認の病」といわれています。
本人は「パチンコなんていつでも止められるさ、」と思っているかもしれません。
けれども、キチンと自らが依存症に罹患している、これは治さなければ死に至る病だ、と認めなければ、
パチンコを止める日は永久にやってこないのです。

 「自分は依存症だ」と認めたとき、すでにもうパチンコ依存症からの脱出の第一歩を踏み出しているのです
精神科医は、「否認の病」を克服し、本人が心の底から依存症であることを認めることが出来るようになれば、
半分以上治療が進んだと考えてもよいぐらいだ、とも述べています。

 ギャンブル依存症の人を治療する際に、「底つき感」というものが患者にないと治療がうまくいかないといわれています。
「底つき感」とは文字通り「底が尽きた」「経済的に、もうこれ以上どうすることも出来ない」と、依存症の人がネを上げた状態です。借金もかさみ、人間関係や家庭の中が壊れつつある状態でしょう。
そこまでいかないと、治療できないというのです。

 こんな馬鹿な話があるでしょうか!

 「病気は軽いうちに治しましょう。」とはよく聞く言葉ですが、その逆に、専門家の間では、死にそうになったら治療して
あげましょうといわれているわけです。

 

「否認の病」だといわれているのに、認めることが治療の第一歩であり、死にそうになるまで治療してもらえない、
そういったギャンブル(パチンコ)依存症から脱出するのは、いかに困難なことかお判り頂けたでしょうか。

 しかし、だからこそ、一人でも多くの人がパチンコから脱出してほしいのです。

 死にそうになる前に、一日でも早く脱出しようではありませんか。

 もし、ここまで読み進められて、もしかしたら自分も依存症になりつつあるのかもしれないと思われたあなた。
パチンコに溺れている人は、誰にも相談できずそういった悲壮感、焦燥感を持ちつづけています。
一人で抱え込むにはあまりにも重い問題なのです。同じ悩みを持ち、自らがパチンコ依存症だと認めた仲間と共に手を取り合って、
この困難な病苦を克服しようではありませんか。